晴れ。台風一過。
買い出しに行く。緊急事態宣言が解除された。
思ったよりも人の混雑はない。
歩く。そして考える。今年はおかしな年だ。季節感が全くない。非日常的な感覚がずっと続いている。
オリンピックもどこか他人事のようだった。(開催で出た赤字はどこに引っ付けるのだろう)
歩き出してすぐにばてた。おかしいな、もっと歩けたはずなのだが。しばらくはリハビリが必要か。
写真を撮る。カメラを取り出すのが億劫だ。カメラはもっとかさばらないやつがいいな。そのままブログに上げられてもいいな。・・・スマホじゃん。やっと時代に追いついた気がする。主に体力の低下によってだけれど。
昔はなぜかこういうのを堕落だと考えていた。自分が育った環境が特殊だったせいかもしれない。今は便利な道具でも人間でも頼れるものにはできるだけ頼りたい。そんな心境になってきた。そういう齢か。便利なものや他人に頼ることへの罪悪感が減ってきた。
前回のブログに書いたことも含め、様々なことについて考える。考えが進むのが歩くことのいいところだ。
言葉に出してしまえば何でもあるような気になってしまう。母のいた教団の信者は、我々の言うことは否定できない、と言い張った。それは子どものころの私にかなりの絶望をもたらした。
今になって考えてみると、それは当たり前のことであんな抽象的で脈絡のない話は否定もできないが、実は肯定もできない話だった。現実世界の具体的な物事についてを言葉にしているのなら、言葉のもとになった現実世界の物事そのものを吟味してあれこれ言うことができるけれども、現実世界にないものについてはそれができない。言葉とはそういうものだった。現実世界に参照先が必要。
理屈のみがどんどん暴走してしまうことで大変な被害が出ている。いったいどこで間違ってしまったのだろう。
自分みたいに踏ん張って言葉や何かの根っこから考えなくても、”普通”の環境にある人々は、もっと自分のまわりにあるものを疑うことなく利用して、軽々と動けるのかもしれない、そのほうが遠くまで行けるだろう。そんな気がした。
今日はかなり歩いた。もう帰ろう。