晴れ。
風が冷たい。
そういえば冬ってこんな感じだった、と思い出す。
夢を見た
(その1)父と車に乗っている。運転は父がしている。駅前の駐車場に着く。
駐車していたフランス人に邪魔で出られないからどいてくれ、と言われる。父は強引なハンドリングで車を駐車スペースに入れる。よくぶつけなかったと思う。フランス人の車は駐車場を出ていった。
父と歩く。いつの間にか夜になっている。道沿いにある家の2階から男性が降りてくる。男性は倒れて動かなくなる。
私はその家のドアをノックする。若い女性が出てくる。事情を話すと「ああ、母はいつもあんな感じですから」とのこと。ずっと具合が悪いらしい。
母? と違和感を感じた。なんだかかえってすまないことをした気になる。その場を去る。
父はいつの間にかいなくなっている。またか、と思う。よくあることだ。探しながら進む。ところでこの道は何? 迷子になる。
商店街に出る。お祭りなのか人出が多い。花火も上がっている。
母と母方の祖母がいる。それを見てギョッとする。父は見当たらない。(終わり)
(その2)また数学の夢だ。テストか。証明問題のようだ。いったい何を証明すればいいのかわからない。とりあえず、グラフを描いて式を立ててみる。
でも証明の方法自体の意味がわからない。これでいいのか? なんでこれで証明できたことになるのか?
これをやる意義はなんなの? これができるとなにが表現できるようになるの?
さっぱりじゃないか。(終わり)
思ったこと
目が覚める。数学は全くダメだと思っていたが、想像以上だった。
私はこれをやる理由や意義というのをひとつひとつ、根気よく説明してもらわないとダメなのか。そこはわかってきた。
まわりの皆はよくあんな猛スピードの授業についていけたな。ついていっているというよりも、適当にやり過ごす能力が高かった人間も多かったのかも。
時間には限りがあるからそれは大事な能力かも。自分には無理だったけれど。
最近"ヤングケアラー"という言葉をよく聞く。私が子どもだったころ、うちにも介護が必要な人が常にいた。
自分もヤングケアラーだったのか? その実感はない。だって直接ケアしてないし。入浴させたわけでも施設に送り迎えしたわけでもないし。
ただ、買い物や洗濯物を取り込んだりとかそんなことを時々していただけだ。
どちらかというと邪魔にならないようにおとなしくしていたほうか。
問題は何をしていたかではなくて、何ができなかったのか、何をしてもらえなかったのか、の方かもしれないな。
子どものうちから家族の面倒をみていたのは、それが必要だったからだし。そのこと自体をどうこういうのもなあ。
まあ大変かどうかといったら、間違いなく大変なんだけれど。介護は大人だってボロボロになるし。
「鬱くしき人々のうた 実録・閉鎖病棟」(卯月妙子著 太田出版)
という漫画を読んだ。著者が若いころ入院していた精神科の閉鎖病棟の記憶を綴ったもの。
強烈すぎてとてもじゃないが、レビューは無理。かなりの閲覧注意な内容の本ですので読まれる方はそれなりの覚悟がいります。
ただ、言えることは書かれている人間がちゃんと生きている。そう思った。
自分も若いころメンタルの調子を崩して今も本調子ではないが、入院をしたことはない。
ただ、そのころ通っていたデイケアのメンバーを通じて閉鎖病棟の情報は少しは入っていた。
この漫画はその情報に大幅に血や肉をつけてくれた。
私は比較的症状が軽かったのでデイケアの中の役職をやっていて、病棟から通ってくるメンバーにあれこれ聞きに病棟に入ったことがある。(私が通っていた病院には閉鎖はなく、開放病棟だけだった)
病棟の中の雰囲気はどんよりとしていて、時間の流れが止まったようになっていた。
私の病棟に対する知識はそこ止まり。この漫画の話題はその先にある。本来は出てこないような話。そこに生きる人間の話。
読んでいて思った。漫画の内容とは直接関係ないけれど、ボロボロになってデイケアに通っていたあのころ、私はちゃんと生きていたんだ。
大学を出て就職して、というレールから外れてしまった私は生きていない、と心のどこかで思っていた。つい最近までそうだった。
乖離のせいでそうなっていたのかもしれないが、そんなことはなかった。ちゃんと生きていた。漫画の中の人間はろくでもない部分も含めてとても生き生きとしていた。
あと、当時の記憶の中で思い出したことは、上に書いたヤングケアラーの話とも関わってくるけれども、他人の方にばかり注意が向くと自身をケアするということがどういうことなのかわからない人間ができてしまうようだ。
デイケアの役職をずっとやっている私に、
「デイケアのためにお前がいるんじゃない。お前のためにデイケアがあるんだぞ」
と年配のメンバーに言われたことがある。当時はその意味が全くわからなかった。ヤングケアラーは思ったよりもずっと根の深い問題のようだ。
この本はそんなことを思い起こさせてくれた。
以上、今日思ったことでした。