晴れ。
ここのところ天候不順だったので晴天が素直に嬉しい。
病院に行く。電車に乗る。
隣の席に座っているおばちゃん二人組がずっとしゃべっている。とても仲が良さそう。
途中駅でおばちゃんの片方が降りる。じゃあね、またね、といった感じ。
とても自然だ。もしかするとおばちゃんたちは小学生だったころからずっと仲良しなのかもしれない。
とすると、もう40年50年の付き合いなのだろうか。
そう思ってクラクラした。
病院に着く。今日はすいている。先生と話す。
この先生ともずいぶん長く付き合うことになってしまった。
そうなると病院に行っても特に話すことがない。顔を見せて変わったことがないか言うくらいだ。
最近おじいちゃんおばあちゃんが大して用もないのに病院に行く、と一部で問題にされているけれど、あれはとても大事なことなのかもしれない。
実際にそういう人がたくさんいるという事実、それは人間にとってとても大事なことなのだ、ということ。
帰る。電車の中で考える。
掃除・洗濯・買い物などを私は昔からやってきた。これは家庭内の都合だ。
昔はなんで俺が、と思っていたが、今となっては家事は生活のリズムを作る、とても大事なものになってしまった。直に生活にふれる経験。
今風に言うとヤングケアラーということなのかな。いや、あそこまで過酷ではないと思う。
・・・違うな。ヤングケアラーは、俺はあそこまで酷くない、とか、まだましだ、と思って我慢するためにあるアイデアじゃない。
それをやってしまったら、だからお前は我慢しろ、という風に我慢や無理をさせるための方便として使われてしまう。
問題を認識して工夫するために生まれたアイデアにかえって縛られる。うちの中で散々やられたことだ。我慢の連鎖。
そういうのはいらない。