korenannan’s blog

関東地方某県に住んでいます。日々思ったことを書きます。時々放ったらかしにして期間が空くことがあります

困っていたら読書どころではない

 晴れ。さらに寒い。

 

 季節が一気に進んだ。

 

 

 

 「神学・政治論」(上・下 スピノザ著 吉田量彦訳 光文社古典新訳文庫)を読み進める。本当に少しずつしか読めない。

 

 

 どういうことなのだろう。途中までしか読んでいないけれども「お前ら聖書を拡大解釈しすぎだ。この程度の解釈が妥当だ。そうすれば、哲学や思想の自由は宗教を両立できる」と言おうとしたのか。そしていろんな人から叩かれた。

 

 相当切羽詰まっていた? というか、頼むから邪魔しないでくれ、ということか。命がけで考えることの自由を守ろうとした。 (のか? 邪魔されてむかついただけでは?)

 

 すごいというよりも、本当に変わった人だと思う。そして強い人だ。あれだけ迫害や出版停止などにあっても続けられる。だから何百年たっても残るのかもしれない。

 

 ”普通”の人間は生命の危険をちらつかされたら簡単に転ぶ。自分の経験から言ってもそうだ。そしてそれが一生消えない傷として残る。恥というやつか。

 

 話が横にそれるけれど、この恥という感覚は何なのだろう。もしこれが相手が人間でなく熊とかだったら、攻撃されて戦わずに逃げても恥に感じることもない。逃げられてよかった、と思うだけだ。まあ動物だったら相手の言いなりになるという選択肢はないか。食われて終わりだ。1対1で戦うこと、群れること。恥は群れることと関係があるのか。戦うときは個にならないといけない? よくわからない。

 

 

 話を戻す。自分はこんなに強い人間ではない。そういう弱い人間には強い人間の考え方は役に立たないのではないか。

 

 というか、現在進行形で困っている人間にこれは役に立つだろうか。カウンセリングがトラブルの最中にある人間にはほとんど効果がないように。(経験済み。それどころではない)

 

 これは覚えておかないといけないな。メンタルの不調や時々やって来るトラブルがこれを思い出させてくれる。恐怖や震えがきている時に理屈は役に立たないことが多い。

 

 また内容以前の話。でもどこかに引っ掛かりを感じる。