晴れ。かなり寒い。
ついに冬が来た。
夢を見た
学校。またテストを受けている。今度は数学ではなく化学らしい。わからないというか手ごたえがない。
途中で抜け出して実験室のような部屋に行く。潜水服のようなものを着た人間がいて円筒形の液体が入った容器に入るようなので、そのサポートをする。
突然元の教室に戻る。今までのは夢だったらしい。また実験室に行く。さっきと同じことをまたやるらしい。夢とか面倒くさいな、と夢の中で思う。
だが実験はやらずにその場でテストを受ける。すでに採点されているようで赤ペンが入っている。もうめちゃくちゃだ。点数はかなり悪い。だが卒業はできるようだ。
実験室を出る。元の教室に戻ろうと思うが迷う。カフェテリアのような場所に出る。どこかの企業の研究所なのかもしれない。食事をしている人間で混雑している。
気づくと外を歩いている。元居た職場か。ほかの人間と会うがもう知らない顔ばかりだ。今度はここでテストを受けるらしい。(終わり)
思ったこと
目が覚める。もうめちゃくちゃだ。これでは卒業できても意味がない。私はどうも勉強というものをなめていたようだ。
というかなにがなんだかわからずに、必死でテストを受けているうちに時間が経過してしまった、というのが正しいと思う。まともってなによ? といった感じ。
最近になってやっと落ち着いて本を読んだりすることができるようになってきた。結果わかったことは、自分は間違いなく親の血を引いている、ということだ。
家庭内の問題についてはこのブログでも散々悪口めいたことを書いてきた。それは感情やら起きたことやらを整理するためだった。
だが、整理して分かったことは自分はその流れの中に確実にいるということだ。批判したり迷惑をこうむって困っていた、そのろくでもないものをきっちりと受け継いでいる。といっていいのだろうか。
だからといって悪ノリはしたくない。それにその流れが分かった以上、もう批判してもしかたがないと思う。自分の一部を批判しても切ないだけだ。
嫌なことは嫌だと言う。ただ自身にもその厄介な何かが繋がっている。他人事として批判するだけ、というわけにはいかない。そこは注意する。そんなに簡単な話じゃないと思うけれども。
これこそが本当の学びだと思う。凹んだけれど楽になった。以前よりも生きていくことが楽になったかどうかが修行がうまくいっているかの指針になる、と以前何かの本で読んだ。
で、今はどういう変化が来たかというと、お酒がおいしい。
かしこくなったとかではないのか。妙な言い方だが大事な何かの一部との繋がりを感じた。ルーツの一部に繋がった?
今は何よりも季節の変化が楽しい。
自分はガジェットが好きだけれど、どんなガジェットもおいしいご飯にはかなわない。(新しいガジェットが出ても、中身はほぼ一緒だということに気づいた)
そういった動物的?な喜びをしみじみと感じるようになった。