晴れ。あっという間に師走。
と書いてみてすでに師走も終わりのほうだと気づく。
今年ももう終わり。早すぎる。実感がない。
この世界のどこかでクリスマスとかいうイベントをやっているのだろうか?
そのくらいの実感のなさ。
「神学・政治論」(上・下 スピノザ著 吉田量彦訳 光文社古典新訳文庫)をやっと読み終わる。
ものすごく時間がかかった。本当にやっとという感じだ。
読み終わって思ったことは、これは”読むべき”本だった。”読みたい”ではない。読まなければならない本。(また内容以前の話だ)
娯楽とは違い、意義や必要性を感じた。
そうか、こういうことか、と感じた。
こういうこと、というのは、意義があるものを見つけた時の独特な感覚のことだ。それは得意・不得意とは関係がなかった。
また昔を思い出す。進路はこうしたい、よりもこうすべき、やこうしなければならない、で決めなければならなかった。自分で意義を見つける。
こうしたい・こうなりたい、はコロコロ変わって定まることがない。だから決定しても後悔だらけだ。少なくとも自分の場合はそうだった。だからそれで進路を決めるのは難しい。
意義がある、というのは本当に独特な感覚だった。この世界の中に何かを見つけたような、世界の中の何かとつながったような感覚。
これが見つかるまでどれだけ苦労したか。わずかでもそう思えるものに出会えるまでに相当な時間がかかり、見つかったころにはすでに人生の後半戦になっていた。準備にとても時間がかかった。
この”意義がある”という感覚を手繰りながら少しずつ進むしかないのか。かなり不安定な状態。というか不安だ。
それにしても進路を決めることや適性を見極めることってこんなに大変なイベントなのか。それとも自分だけ?
少し大げさすぎる気もする。気取ってんじゃねーよ、といった感じ。
まいったな。