本日2つ目。
午前中に投稿したものや、その前に投稿した記事についてさらに考える。
(前回の記事で、ユーグリッドの著作を「群論」と書いてしまいましたが正しくは「原論」でした。訂正済み)
なぜ沖縄では基地に対してあんなに屈折した思いがあるのか。抗議活動も盛んだ。それに関してはいろいろと問題もあるようだけれども。
・・・あれ? 基地などの今の状況がどうこう以前に、よそから軍隊がやってきて地上戦をやられたという、そのことだけで、恨んで抗議して当然の出来事じゃないか。
なんでその事に気がつかなかったのだろう。
考えてみたら、東京だって戦時中は無差別爆撃を受けて10万人以上死んでいる。なんで今現在平気な顔をしているのだろう。
その事実をなんとなく当たり前のこととして受け止めていたが、沖縄よりもこっちのほうが異常といってもいいのかもしれない。
なんでそんなことをした国の軍隊が駐留していることに対して、なんの違和感も感じないのか。
いままで違和感を覚えなかったのは、占領政策や教育の結果なのだろうか?
日本はアメリカの占領政策が成功した数少ない国のひとつだという。それはこういうことなのだろうか。
その事実はアメリカ人にとっては誇らしいことなのだろうけれど、日本人にとっては手放しで喜んでいいことばかりではなさそうだ。
もちろんそうなったのには、そうせざるをえなかった、日本がおかれている立場というものがあるのだろうけど。
妥協が必要だった、ということか。ただ沖縄は自分たちで主体的に妥協したというよりは、中央の決定に従うしかなく、それに振り回されたということが、問題をよりこじらせている原因になっているということか。
これまでほとんど意識してこなかったが、なぜ他国の軍隊が駐留しているのだろう、と少しだけ考えた。
その事実に気づくことがこんなにも大変だとは思わなかった。
気づかないとその事について考えることもできない。
そのことが人間個人の自立とも関係がありそう。そんな気がする。