晴れ。空気が乾いている。
やっと秋が来た。というには寒すぎる気もする。極端。
思ったこと
季節が一気に進んだ。着るものや布団、暖房器具などを慌てて準備する。
洗濯を二回やった。主婦(夫)みたいだとも思うが主婦(夫)はもっとあちこちに気を使ってフル回転している。彼ら彼女らはもっと社交的で活動的だ。
自分はそこまで動けないし動きたくない。どちらかというと世捨て人とかそういった風か。
父はさらに上を行っている感じだ。まわりでいくらトラブルが起きていても平気な顔をしている。さすがにあそこまではできないししたくない。その態度のせいで起きるトラブルを目の前で見続けてきた。フォローも大変だ。ほったらかしにしたものが全部こっちに回ってくる。しかもそれを当然と思っているようにも見える。
一体あれは何なのだろう、と思う。戦争に負けたせいだとか家族の制度が変わったせいだとかいう人もいるけれど、それではうまく説明できそうもない。
まさか占領政策の一環? 3S政策みたいなのもあったし。(3S政策ってまじめに考えるとかなりトンデモ政策な気もする)
そういうのを陰謀論というのか。いや被害妄想か。疲れているのかもな。でも占領政策とかいってよその都合に当然のように手を突っ込んでくることそのこと自体がまずおかしいな。
あの国は敵対する国家元首をEDにするために薬品を噴射したこともあるという。なんだそりゃ、というレベルの話だ。国のやることはかなり出鱈目だと思っておいたほうがいいのかもしれない。出鱈目を押し通すだけの国力があるということか。でもさ、よその出鱈目を生きないといけないのはかなりつらい。
話がずれてしまった。なんだっけ。陰謀論か。でも陰謀論とか被害妄想って人間が抱いているある種の不安や息苦しさをかなり素直に表現できるという効果(?)があると思う。
かつて自分がメンタルをやられていた時だってかなりおかしなことを言っていた(はず。当時お世話になっていた医者に怒鳴られたこともあった)
暴力や理不尽などが複雑に絡み合っていてそれを理詰めで誰かに伝えるのはとてもじゃないが不可能。でもなんとかして言葉にして出さないと本当に狂ってしまう、という時にそういう話が出た。私の場合はそうだったと今思う。他の人がどうかはわからない。
そういうトンデモ論(?)を口にすることで背負っている重荷が少し軽くなるのかも。
陰謀論が流行るときは皆相当苦しいのか。
陰謀論の考察をするんじゃないの? いやいやそんな難しいことはわからない。自分のまわりというか自分を基準にしないと考えられない。
ここ10年くらいの間で、心身ともに変化して理屈とわが身がちゃんとリンクするようになってきた。それこそが責任を持って考えるということらしい。
理由はセラピーを受けたことと、加齢とともに身体が衰えてきて自分が死にゆくことをリアルに感じることができるようになったからだろうか。人間は衰えて死ぬ、ということが実感されると自分の状況を無視して考えるわけにはいかなくなる。動かない確かな基準なんてない。
考え方は変わったけれど、考えること自体はやめられそうもない。
はてなブログ10周年特別お題「10年で変わったこと・変わらなかったこと」