晴れ。
今日はいい天気だ。
夢を見た
早朝。母方の実家のあたりを歩いている。下町の商店街。
ケータイショップに入る。パンフレットを見る。格安プランがあるらしい。
機種はなんだろう。かなり古いガラケー。ガラケーは好きだけれども、さすがにこれはないだろうと思う。そもそも今この機種は使えるのか。
ショップを出て歩く。丘の上の広い公園に来る。たくさんの人がくつろいでいる。
自分の携帯を見る。自分はまだガラケーを使っている。母からのメールが6件入っている。まったく気づかなかった。これはカンカンだろう、とおそるおそる見てみる。
メールにはどこかのスタジアムの写真が添付されていた。
どういうことだろう? さっぱりわからない。ともかく怒っているわけではないようだ。ホッとする。
携帯の動作がおかしくなる。ガラケーではそろそろ限界か(終わり)
思ったこと
目が覚める。夢の中まで家族の問題だ。まいった。
考える。これまでさんざん家族の問題を書いてきた。それで感情がだいぶん整理された。それで浮かび上がってきたものは、
"うちの親は頭がおかしい"
という素朴な思いだった。
もちろんこんなことは言うべきではない。失礼だ。だけどとても大事なことだった。
思った内容がどうこうというよりも、相手に対してそれくらいの心理的な距離が必要だった。それが大人になるということだ。やっとそこまでこれた。
そういった思いを抱えながら、相手と向き合う。距離をとる。そういうことか。
独特な超然とした感情。これが大人?
"悪口を言ってはいけない"だけでは、大人になれない。書いてみると当たり前のことだが、それが身に付く・腑に落ちるまでがどんなに大変だったか。
ネットでは誰かの失言を叩いて大騒ぎしている。その行為が大人になることを妨げている気がする。
"失言"というよりも、自分の中の一見マイナスに見える部分を自覚して、自分の中に居場所を与えないと大人になれないのでは?
失言といって叩いてしまってはその機会を失わせることになる。そういうことか。
矛盾やマイナスに見えるものに居場所を与えて抱え込めるのが大人か?
それには手間暇がたくさんかかる。
なんだかまた理想化している気がする。若干上から発言だし。でもだいぶん整理ができてきた。
大人になるって本当に大変だ。
もういい歳したおっさんなのにまだこんなことを言っている。