korenannan’s blog

関東地方某県に住んでいます。日々思ったことを書きます。時々放ったらかしにして期間が空くことがあります

言葉を信じすぎたのかな

 雲が多い空。

 

 朝、ゴミ出しの時近所の施設の敷地を見る。

 

 枯れた雑草がいい雰囲気を出している。

 

 冬の日を感じる。

 

 もう春なのに。

 

 

   

       夢を見た

 野球を観戦している。練習かもしれない。外野に打球が飛ぶ。外国人助っ人の選手が捕球し投げる。今時珍しい長髪の選手だ。

 

 送球は大幅にそれて外野の塀にぶつかる。ほかの選手がそれをひやかしている。

 

 スタンドのほうから大声がする。見ると「我々は~」などと叫ぶスキンヘッドに学生服を着ている男がいる。面倒くさそうなタイプだと思う。応援団かなにかか。

 

 彼とその取り巻きはスタンドのネットに上りだす。取り巻きはブレザーにネクタイ姿でややチャラチャラしている。

 

 まわりの人間が「やめろ!」と叫ぶ。なぜか叫んでいる人間は和服姿の女性だった。業を煮やしたのか皆ネットを揺らし始める。ブレザー姿の男たちは落ちてくる。

 

 落ちてきた男はまわりの人間につかまる。いつの間にかスタジアムから学校のグラウンドになっている。あれ、スキンヘッドの男はどこに行った?

 

 スキンヘッドの男はグラウンド内にある塔の上に立てこもっているらしい。迷彩服の男性が塔に上っていく。てっぺんにたどり着くとスキンヘッドの男の荷物を下に放り投げ、自分も飛び降りた。さすが自衛隊、という声がする。

 

 スキンヘッドの男はあきらめて降りてきた。男はマイクで何か話す。

 

 「こんなことで1日つぶしてもったいなくないですか?」と男は言う。なんじゃそりゃ、とあきれて、思わず「芸人かよ」と私は叫ぶ。まわりからも野次がとんでいる。

 

 さっきの威勢良さはどこに行ったんだよ(終わり)

 

 

 

       思ったこと

 目が覚める。なんだこの夢は。変な男だ。言葉って言ったもの勝ちなんだな、と思う。真に受けたらダメだ。

 

 

 考える。テレビやネットでは、芸人も含めた有名人の発言がさんざん炎上している。でも、本来そういうことを言うのが芸人だったのではないか。

 

 変な感じだ。あれはなんあのだろう。叩くことでどんどん息苦しい世界を皆で作っている気がする。芸人って表立って言ってはいけないことを言って、ガス抜きするためにいるんじゃないの? よくわからないけれども。

 

 まあ、そういう人間に対処するのが大変なのは認めるけど。

 

 彼らは聖人君子ではない。皆で聖人君子になろうとしたらどんどん息苦しくなるのでは?

 

 立派な行いは宗教家や預言者にまかせておけばいいのでは? 一般人がそれをやろうとすると息苦しい世の中になる? そういうことか?

 

 

 ・・・これが最近スピノザ関連の本を読んで出てきた結論かよ。私っていい加減な人間だったんだな。

 

 というか彼らの議論て私がイメージしてたよりもかなり大雑把だった。自分が言いたいことに合わせて権威をかなり強引に解釈している。

 

 というか、言葉ってそういうものらしい。どんなに強引でデタラメに見えるものでも手順をちゃんと踏めば力を持つことになる。それが言葉の力であり限界らしい。悪用もし放題ということか。

 

 ということはベースになっている権威も、かなり大雑把なものだったのかもしれないな。大雑把というか昔はそれで済んでいた? 言葉がそこまで発達していなかった。素朴な言葉。それを解釈せずにありのままに受け取るのは結構な努力が必要になる。こういうことか。

 

 

 これまでの私は馬鹿正直に何か言われたらそれをそのまま信じていたようだ。それでカモにされて精神を病んだ。まさか言葉がこんなにいい加減だと思わなかった。

 

 相手の言っていることを疑え、というよりは、言葉を使っている人間は(自分も含めて)皆バカだから、そのつもりで対応しろ、というほうが正しい気がする。やや失礼だけどそちらのほうがトラブルが少なそうだ。

 

 

 そんなことを思った。言葉はスカスカだけれども、ちゃんと手順を踏んだり筋みちをたどっていけば力を持つらしい。でもそれなりだ。

 

 言葉の使用方法。

 

 

 

 ニュースではウクライナをめぐり、きな臭い感じになってきている。両陣営とも段取りを踏んでバチバチ火花を散らしている。ロシアがウクライナに進出しているのかと思っていたが、その前にNATOが加盟国を増やすというやりかたでどんどん東進していた。

 

 わからないものだな。

 

 日本は西側(というかアメリカ寄り)のスタンスをとっている。中国とアメリカに挟まれているということを考えたら、いつウクライナのおかれている立場になるかわからない。地元で勢力争いの代理戦争やられたらたまらないな。

 

 

 なんだろう。この偉そうな感じは? なんか嫌だな。座っているだけで情報がどんどん入ってくるとはこういうことなのだろうか。あまりいいことではないな。

 

 ゴミ出しをして、洗濯をして、洗い物をして、もうそれで十分じゃないか。他人に評価される。他人の評価を気にする。これは不幸のもとだ。ネットはそれであふれかえっている。

 

 自分のその場のすることをやる。それだけで十分だった。

 

 ”飯を食って、くそをして、屋根のある場所で寝る。それ以外のことはお前には関係がない”

 

 昔読んだ仏教関係の本にそう書いてあった。これはこういうことだろうか。

 

 自分にとって意味のある言葉以外はどうでもいい。そういうことかもしれない。