曇り。
天気がかなり早い周期で変わっていく。
前回書いたことをさらに考える。
真面目で問題ないように見えても、ただ問題を起こさないように我慢している、させられているだけだったりする。
こういうのを抑圧というのか。
確かに問題を起こされるのは困ったことだ。余裕のない環境だったらなおさらそうだ。
でも我慢してしまったら、人間はそれ以上成長しなくなる。これは痛いほどわかった。
その我慢や抑圧は身体や心の異常となって現れた。それで精神科に行って薬をもらうことになる。
それで症状はある程度おさまったが、原因はそのままなので治ることはない。
それどころか、"病気"にしてしまうことで病院も抑圧に手を貸すことになることもありえる。(基本的には助かっているのだけれども)
それで問題がいっそう見えにくくなる。
さらに面倒なのは、病気ということにしないと、休むことができない、ということだ。立派な理由がないと自分もまわりも納得しない。
真面目な性格だったり、家族が体面を保つためだったり、忙しすぎて面倒を見れる人間がいなかったりと、様々な理由から、何かおかしいから軌道修正する、ということが、できない。それで壊れるまで突っ走る。
何故なのかと考えてみる。うちの場合親が自分の抱えている問題を隠蔽するために家族を巻き込んだ、という面があると思う。
解決されなかった問題は世代を越えて伝わる。そうなると解決がさらに困難になる。"自分の"問題ではないからだ。
"自分の"問題ではなくても困っていることには違いはない。何とかしないといけない。すると自分の問題だったものが、時間や空間の広がりを考慮しないと解決できないことに気づく。
そんなところだろうか。
何の話だったっけ? そうだ、我慢や抑圧をしてしまうと一見うまくいっているように見えても、実は何も変わっていない、ということだった。
YouTubeでとある会社の動画を見て、そんなことを思った。彼らは仕事というよりは真剣に遊んでいた。
それは我慢というのとは少し違うように感じられた。少なくとも抑圧とは無縁そうだ。
問題が多すぎて大変だ。一つ一つ片付けていくしかない。その先に何があるのかは皆目見当もつかない。
でも、昔みたいに進路を変えれば、病院に行けば、それで解決するとは思わなくなったところが成長したと思う。(あとから読んでみると恥ずかしいが)