晴れ。さらに寒い。
夢を見た
大きな池で子供が溺れている。男女の二人組だ。自分も池につかってそれを横から見ている。子供たちは小さなボートに乗って岸までくる。ボートは小さすぎて男子一人しか乗れていない。女の子がそれを押している。
何とか岸にたどり着く。岸には釣りをしている子供たちの集団がいる。彼らも遭難しているのか。子供の一人にヒルのような虫が取りつく。子供はしかめっ面をして取り払おうとする。
池からワニが上がってくる。今度は私が襲われる。いつの間にか場所が自宅の近所になっている。ワニの動きは素早く私は柳の枝にとびついて避けようとする。ワニはジャンプしてくる。
ふとこれが夢の中だと気づく。気が大きくなってワニを二つ折りにしてやる。心のどこかでこういうことはしてはいけないと思う。(終わり)
思ったこと
目が覚める。買い出しに行く。自分が空っぽになっているのに気づく。特急列車が通過する。中には人がまったくいない。
淡々と買い物をする。そこは変わらない。変わらないことのものすごい力。
そして考える。人生はその中を生きることはできても都合よく捻じ曲げることはできない。意志の力で何とかできるものではない。それでもこれはあんまりだと思うことはある。
そういうところがトラウマになる。いくらトラウマをしゃべっても解決にはならないというが、ある程度風化はしていくようだ。それに話すだけではない。時間が経ちその間に生活している。
アメリカはトラウマなどのセラピーが進んでいるようだ。だけれどもその中にはトラウマを解決して幸せに暮らそう、ということだけでなく、何とかして傷ついた兵士をもう一度戦場に送り込めないだろうか、という思惑もあるらしい。
セラピーはいいけれど知らないうちにそういう思惑に乗せられないように気をつける。
この世界はたくさんの思惑が絡まりあってできている。”こうあるべき”も大事だし、実際には”こうなっている”も大事。”こうあるべき”というのは”こうなっている”を基礎にしてやらないとうまくいかないものらしい。
だけど一番基礎となるのは自分でそこが滅茶苦茶だと、もうどうにもならない。現状維持ということですら無理難題になる。自分にとって大人になるとはそこに気づくことだった。スッキリしたがやや悲しい。(今週のお題「大人になったなと感じるとき」)
外に出て移動すると考えが進む。そこがいい。