曇り。
今日は晴れて真夏日になる予報だった。
最近の天気予報ははずすことが多くなったと思う。
気象の変化が激しくなりすぎせいなのか、あるいは正確に出そうとしすぎ、はっきりとわかりやすい予報を出そうとしすぎた結果なのではないか。
こうなればこうなる、だから絶対こうなる、と決めつけすぎ?
わからないところまではっきりさせる必要はないのでは、と素人が思う。
こうできる、とか、こうなる、とか、はっきりさせすぎたら、もう予報でなく予言だ。
そんなことは不可能だし、そこまで期待していない。
それとも、暑くなるからお前ら注意しろよ、ということを強調しすぎた結果だろうか。
予報の正確性よりも、そうなったときにどんなトラブルが起きるか、それを予防する、という点を重視している? それにしても騒ぎすぎでは。
夢を見た
夜。うちの近く。
銃を持った2人組に襲われる。
こちらも銃で応戦する。いつもの夢のようにいくら撃ってもまったく効果がない。
とにかく撃退する。相手は車で逃走する。
自宅に帰る。とにかく逃げなければいけないと思う。
うちを抜け出す。坂を上る。
上った先にはコンビニがある。
コンビニの駐車場はバスの倉庫になっているようだ。
バスが出てくる。始発だろうか。中には運転手ともう一人従業員が乗っている。研修の指導教官か。
バスは坂を下る。左に曲がらなければいけないところを、右の歩行者用の階段に突っ込んでいく。
バスはガタガタと落ちていき、下の道路に頭から突っ込む。
さらに進む。小学校時代の同級生のうちに来る。
夜中なのに皆起きている。ここでも騒ぎがあったようだ。
同級生の母親に通報するのでそばで聞いていてくれ、と頼む。
携帯で通報する。なんとか今の窮状を伝えようとするがうまくいかない。
会って説明することにする。電話を終え会うために坂を下る。同級生の母親もついてくる。
うちの近くでさっきの暴漢とまた会う。銃を出してきたのでそれを奪い取り、隣の学校の敷地に投げ込む。
もう、どちらが暴漢かわからない。むしろ自分も暴漢の仲間みたいな気がする。
こんな状態でうまく説明できるのだろうか。(終わり)
思ったこと
目が覚める。被害を受けた側なのに罪の意識、罪の自覚。巻き込まれている。後ろめたさ。そういう複雑な環境。
同級生の母親なんて何十年ぶりに会った。夢だけど。
自分が誰かにお願いするなんて珍しい。
ブロンテ一家に関する本を読んで:
あの人たちは自分のむき出しの生とがっぷり四つで組み合っている。そう思った。
社会的地位や慣習に守られることをよしとしなかった。
というかそういう器用なことができない。生きていくための身を守る盾や便利なツールを利用できない。
その結果大変厳しい人生を生きることになった。皆早死にしたのはそのせいだろう。
でも、盾がないおかげで、世界と直接向き合える。ゴウゴウとした風や強烈な日差しを思い切り受けることができる。
時々そういう人間がいるらしい。そういう人は詩人や作家に多い。
そういう人間は風に直接触れていないと生きていけない。でも風を直接受け続けるせいで風邪を引く。洒落みたいだけど。
別に高名な作家になれたからどうとか、なれなかったから意味がない、とか、そういうことでなかった。
そんなことはどうでもよかった。
ただ自分の生を味わい尽くすことを望んだ。そういう生き方。
彼らは自分がそういう人間で、"普通の"人たちのように生きることができない、ということに気づくまでに大変な苦労をしている。
そして、なんとか自分の人生と折り合いがつくようになった頃に亡くなっている。
とても興味深い生き方。