korenannan’s blog

関東地方某県に住んでいます。日々思ったことを書きます。時々放ったらかしにして期間が空くことがあります

親からもらったものをどうやって世間の中で着地点を見つけたらいいんだ

 晴れ。

 

 もう通常どおり。

 

 まだ松の内だったか。

 

 よく知らないけれども。

 

 

 年末にぎっくり腰になった母は病院に行った結果、ただのオーバワークだったよう。レントゲンでは異常がなかった。

 

 貼り薬と飲み薬をもらって帰ってきた。とりあえずひと安心。

 

 

 

 買い出しに行く。新年の商店街を歩く。

 

 新しいショッピングモール(小さめのやつ)ができたので行ってみる。

 

 自分はひねくれ者なのかもしれないが、店が新しく明るくなればなるほど、かえってそこにいる人間の暗さが目立ってきている気がする。

 

 世相を反映しているのだろうか。それとも自分の心象風景か。

 

 

 

 歩きながら考える。また家庭内の問題。これまでさんざん書いたもの。

 

 自分の経験したことを本を読むなどして知識を得て、なんとか意味を見つけようとしている。

 

 

 知識というのは与えられたものを、世間の中で自らの手で意味を見いだすことで、身につくのではないだろうか。

 

 自分が親からもらったもの、あれはあの団体の世界の中でしか意味を持たない符牒のようなものだった。

 

 だから外の世界ではほとんど意味を持たない、見いだすことができない。それで苦労しているのか。

 

 嫌なら離れて他の生活をすればいいのではないか? その方が健全で真っ当な気もする。

 

 縁を切って一切を忘れて幸せに暮らす。

 

 だが、私はそんなに器用ではない。もしかして私は結構な過激派なのかもしれない。突き詰めて意味を考えようとする。あほくさ、で終わらせることができない。

 

 

 だから、自分の経験とこの世界の接点をどこかに見つけて着地しないと困るんだ。

 

 そこまで考え(というか気持ち)がまとまった。買い物を続行する。

 

 

 家族に頼まれたので寿司を買う。駅ビル内。

 

 ・・・あれ、ここの寿司屋店名が変わっている。元の寿司屋はどうなったんだ。

 

 元あった寿司屋は入り口から遠い別の場所に移動している。いったいどういうことだろう。

 

 最近はこういう謎のムーブが多い気がする。どういうことだろう。

 

 変化が早すぎてついていけない。

 

 

 買い物が終わったので帰る。

 

 

 相変わらずとりとめのない文章だ。一記事に1テーマのほうが読みやすいのだろうけれど。

 

 ただ、今日あったことを羅列している。そういう風にしか書けない。

 

 

 

 追記:この時期にたまに近所の人に会って「明けましておめでとう」、と言うことに違和感がある。誕生日も新年もいまだに「おめでとう」と言っていいのかわからない。

 

 だから誰かに「おめでとう」と言われたら本当に困ってしまう。

 

 子どもの頃の環境や習慣は強い。