晴れ。
今日暖かくなるらしいが、朝はまだ寒い。
ここのところ母のまわりで信者がまたバタバタ騒がしい。
なので少し具合が悪い。
とにかく外に出る。買い出しに行く。
歩きながら考える。
しょーもない悪。わかりやすい悪者という類のものではない。
大変な迷惑をこうむっているのは確かなのだが、そのことを何とも説明のしようがない。
相手が個人ならまだ対処の仕方があると思う。(「しょーもない」で笑って済ますことすらできるかもしれない)
だけど、そうではなく大きな団体が人の家にやって来てトラブルを起こすような人間を意図的に大量生産している。
これはだいぶん感じが違う。そういう意味ではものすごい悪だ。新しい問題なのかも。
でも訴えづらい・わかってもらいづらい、のはなぜか。自分もこれまでまわりに言っても取り合ってもらえないことが多かった。
身体に害が及ぶ。お金の損害が出る。こういうモノ・金の話だったらわかやすい。すぐにお巡りさんが来るだろう。
でも、人間の人生・心の苦痛はそうはいかない。立証するのがとても難しい。
考えながら思う。この”罪”というの、モノや金に偏りすぎていないか?
無理やり言うならば”人道に対する罪”みたいなものだろうか。そのくらいの大きな影響が出ているし。
”人道に対する罪”なんて戦争犯罪の裁判でしか聞いたことがない。これは戦争なのか。訳のわからない理由で人が被害を被ったり亡くなったりしている。
もしかしたら人間が神を語ること、神の名を借りて(かたって)あれこれやること自体がおかしなことなのかもしれない。そんな気すらしてくる。
大きな何かで語ると感覚がマヒする・盛大に責任転嫁する。それで、他人に迷惑をかけても笑って堂々としている。
日本人の宗教に対するアレルギーは、そういう意味では真っ当な感覚なのかもしれない。また主語が大きい。
そんなことを考えながらスーパーで買い物を済ます。値上げをはっきりと感じる。食料品が少し高くなっている。
でも人間は食事をしないわけにはいかない。こっちはただの人間なんだ。空腹・痛み・寒さなどのケアを忘れてはいけない。
そこを無視するとおかしなことをしだす・おかしなことを言い出す。完璧な存在のふりをすると、他人が持っている(だろう)痛みなどの感覚も想像できなくなる。
立ち食い蕎麦屋に入る。なんだか本当に具合が悪い。途中で何をしているのか訳が分からなくなる。信者と久しぶりにニアミスしたことが思ったよりもかなりのダメージになっているみたいだ。
何をしていたんだっけ? このあとどうするんだっけ?
しばらく考えて思い出す。家に帰るんだよ。右足出して、その後に左足出して。それを繰り返して。何だか酔っぱらいのおっさんみたいなことになってしまった。
最後にこれかよ。自分であきれた。
それでも何とか家にたどり着けた。めでたしめでたしだ。
親がいない静かなうちに洗濯を終えて、室内に干した。