晴れ。
気温は変わらないが地面や建物が冷えてきたのでいっそう寒い。
夢を見た
自宅にいる。両親と一緒。何でも有名なお坊さんの集まりに行くという。
私もいっしょに行く。車に乗る。
山の上の住宅地。小さな公民館のような建物。坊さんの自宅か。
中に入る。中は信者たちでいっぱいだ。
講話を聞くのに予選?があるらしい。なんじゃそれ?と思ったが人数が多すぎるのと、従来からいる信者との軋轢を避けるために人間を選ぶとのこと。
予選をパスできたのか講話を聴くことになる。畳敷きの部屋に座布団が並んでいる。
その一つに座る。自分が座ったのは主催者側の場所だった。慌てて移動する。
はじまる。参加しているメンバーが一人一人自己紹介。その際に”自分が戦っているのは何?”というお題でひとこと言わなければならない。
母が父をけん制して言うことを指定する。余計なことを言うな、ということらしい。
私の番。「まわりのすべてと戦っています」と言う。言いながら、それってどうなのよ?と思う。
壁側のおじさんの番。おじさんは延々と話し続ける。おじさんが語っていた内容を皆で共有することになる。いったんお開きになる。
再開する。おじさんが言った内容を手書きにしてコピーしたものが配られる。青いインクだ。
まわりを見る。部屋いっぱいに20名位ほどいた人が4,5名に減っている。(終わり)
思ったこと
目が覚める。また変な夢だ。
子どもの頃行っていた母が入信している教団の集まりに少し似ている。
思い出してみるとあの頃の彼らはまだ地味だった記憶がある。
最近見かける彼らはゴリゴリにビジネス化しているように見える。
思い出しながら考える。
でも、ただ働きさせて、金もとるビジネスって何だよ。最近になり、やっとそこらへんのことをちゃんと考えられるようになってきた。
宗教だから、ということか。何故みな宗教だけ特別扱いされて当然だと考えるのだろうか。そもそもの部分。
そもそもの部分でいえば、
人に迷惑をかけて「ごめんなさい」ができない人と付き合ってはいけません。
そういうことだ。どんなに立派そうに聞こえることを言っていても、そういうレベルの話だ。立派な理屈のせいでわからなくなっていた。やる側もやられる側も。
などと考えてみる。ちょっとしんどいな。この前のブログの話じゃないけれども、モチベーションややる気でつぶれないように注意しないと。
追記:でもさ、その当たり前のことに気づくまでに何十年もかかっているんだぜ。素朴な気持ちに見えて、実は深刻な問題なのかもしれない。
教義や理屈の内容がどうこうというよりも、人間の人生の短さ、とか生身の人間のほうの問題。
人間は歳を取って亡くなる。その人生の大半を浪費させるのはどうなの?という問題。