曇り。
黄砂の第二弾が来るらしい。
何か明るい話題はないのか。
ちゃんと春が来て桜が咲いた。もう寒くなることは(とりあえずしばらくは)なさそうだ。
”明るい話題”といえばこれくらいだろうか。季節がちゃんと巡っている。
話題が農耕民族っぽい。
夢を見た
夜遅く。街を歩いている。自宅に帰るところ。
他にも帰宅する人間が幾人かいる。同級生だろうか。
電車に乗りたいのだが、事故か何かあったようでまともに動いていない。
なので歩く。途中の分かれ道で同級生と別れる。
深夜ということもあるのか、空気がかなり重い。気分も沈んでいる。
道は郊外の山間部に入る。軽く峠越え。あたりには店も何もない。(終わり)
思ったこと
目が覚める。夢の中の”実感”が揺らいでいる感じがあった。あまり”現実感”のない夢。自分から自分が離れてしまっているような。子どもの頃はそういう不安定な夢をよく見た。
トークイベント(*)をオンラインで視聴した。
*:(【イベント&オンライン(Zoom)】『みんなの宗教2世問題』 (晶文社)・『信仰から解放されない子どもたち』(明石書店) 刊行記念 横道誠×信田さよ子トークイベント 「宗教2世当事者と支援者をつなぐ」・代官山蔦屋書店)
宗教2世で同時に発達障害を抱えている学者と著名なカウンセラーの対談。
イベントは19時から。当日は1日中具合が悪く、ずっと頭や身体がしびれていた。それで開始時刻まで寝込む。イベントも横になって視聴した。
ここまで具合が悪くなったのは久しぶり。何十年ぶりかもしれない。
あまり行儀がよくないが、視聴できてよかった。文明の利器のおかげ。
感想は:まず対談を聴けて、本人たちの姿を(画面越しだが)見ることができた。その事自体が良かった。人の声や身振り手振りというのは思ったより力や情報量がある。
イベントの中で信田さよ子先生に、「人権や依存なんていうけれど、それらは宗教にくらべたらつい最近できたもので、同列に語ることには違和感がある」というような内容の発言があった。
一瞬カチンときた。(こっちは大変な思いをしていて、人権侵害などの言葉を使って、自分の困難さを何とか表現したり、抵抗の道具にしているのに)
だが、一理あると思いなおした。”宗教”や”依存”対象のアルコールは、人権や依存という言葉ができるはるか前から存在しており、大きな広がりを持った文化や世界を作っている。
けっして人権や依存という言葉の中だけに収まることはない。
この見方は大事だな。(でも人権は守ってくれと言いたい)
(もちろん信田先生はしっかりと考えられての発言。人権というアイデアもキリスト教を土台にして出てきている。そこも考慮に入れないと、ということのようだった)
それと、カウンセラーなどケアの専門家にこの手の問題に対する知識やノウハウがほとんどない、ということがわかった。
これまでの経験からうすうす気づいていたが、やっぱりそうだったのか。
オウムの事件のときも、”こういう危険な団体にどうやって対処するか”、ということはかなり話し合われたが、”被害者のケアをどうするか”、ということは途中で立ち消えてしまったとのこと。
地下鉄サリン事件があった当時、自分も何となく(ひでえやつらだなあ)とどこか他人事のように思っていた部分がある。
実際には宗教による被害者のケアの問題は大変深刻で、それを疎かにしたせいで結果的に総理経験者が亡くなることになった。
そしてこれらは自分自身とも”宗教2世問題”という言葉でつながってきた。
当時はこんなことになるとは思いもしなかった。
もっともあの頃は大変に具合が悪かったので、何かをまともに考える余裕なんてなかったけれど。
その他に役に立った情報。依存症はマシになるだけで完全には治らない。(何故か被害を受けている宗教2世はこういうトラブルを抱えていることが多い)
(治せない(と思われている)ものは医者の範疇ではない、という考え方もある)
そして治らないもの・治る可能性の低いものには自助グループができる。ということは一部の精神的な障害もそういう範疇のものなのか。自分は自助グループではないが、一時期とあるデイケアに通っていた。
治らないものなのかよ。あんまりだ、と思ったが、同時に覚悟ができた、というか自分の立ち位置が明確になった。
これは一生付き合うものだ。それにさっきの人権や依存の話で出てきたように、これ自身文化やユニークなものの見方につながる。ただの病気や障害だけではない。
病みまくっていた昭和の文豪みたいだ。
とはいっても自分の障害を個性だなんて言わない。実際に生活に支障が出て困っているのに、ポジティブそうに聞こえることばかり言っているわけにはいかない。
それにしても宗教2世の問題は本当に世間の理解がない。ひしひしと感じる。あの事件のおかげで少しはましになったが。
宗教の問題だけ単独であるのではなく、心身のトラブル・親子関係・社会を取り巻く環境の変化など、別の問題ともつながっていることが多いので余計わかりにくいようだ。
だから自分自身で考えてけりをつけるしかない。そうしないとこの社会に居場所がない。
(でも、問題に近づきすぎると、今回のように調子を崩すことにつながるのでそこは注意する。基本的な生活スタイルやリズムは変えてはいけない。でも全部こっちの責任で考えなくてはいけないのだろうか)
そう思った。
とにかく本当に発見の多い良いイベントだった。おかげであれやこれやつめこみ過ぎの文章になってしまった。
最近思う。母の入信している団体って宗教団体の形はとっているけれども、実は宗教ではないのでは。漠然とそう思った。