korenannan’s blog

関東地方某県に住んでいます。日々思ったことを書きます。時々放ったらかしにして期間が空くことがあります

面倒なトラブルはパッと見ではわからない。気づくために身体の快不快の感覚は大事。そして解決には時間も体力も知恵も必要

 風が吹いたり雨が降ったり天気が目まぐるしく変わる。

 

 季節が進んでいく。

 

 

    夢を見た

 (その1)山を大勢で登っている。修学旅行のようだ。

 

 山は大きく高く頂上が見えない。修学旅行最終日で今日帰らなければいけないのに大丈夫なのだろうか。

 

 中腹に門前町のような建物がある。あたりは暗くなりだしている。

 

 時計を見ると午後6時20分。一緒に歩いている女子に引き返さないと間に合わなくなる、と言う。

 

 引き返す。帰り道もかなりの距離だ。腹が減ってきた。飲み物の自販機くらいしかない。

 

 疲れたので途中の建物で休む。すっかり寝込んでしまう。時間を確認すると午後8時。

 

 あわてて出発する。まわりにいた大学生のグループは、今日は泊まって明日山頂に出発するようだ。

 

 余裕があって羨ましい。

 

 同級生の荷物を運ぶことになる。皆は手ぶらで先を急ぐ。私は荷物をのせたトラックを運転して山を下る。

 

 山道を下りきり、街道に出る。パトカーがサイレンを鳴らして走る。自分を捕まえに来たのかと思ったがそうではなかった。パトカーに追い越される。

 

 パトカーのサイレンが夜の雰囲気にとても似合う、などと関係ないことを考える。

 

 街まで降りてきたが、泊まっていた宿の場所がわからない。

 

 トラックが元いたと思われる駐車場に何とかたどり着くことができた。

 

 だが、目的が人間の乗り降りでなく、荷物を宿屋に届けることだと気づき、駐車場から出る。

 

 いつの間にかあたりは昼になっている。

 

 駐車場の入口は大混雑。祭があるらしい。警備員が人と車をさばこうと大声で叫んでいる。

 

 何とか出て道を進む。途中崖の際の道を曲がって進む。

 

 何故だか知らないがここが正解だとわかる。

 

 道の突き当りには立派な木の門がある。人間だけ横の木戸から入り、門を開ける。

 

 やっと到着。あたりはまた夜になっている。何故か私の家族がある。姉も起きて騒いでいる。こんな夜遅くまで起きていて大丈夫かと思う。

 

 トラックの荷台を開け荷物を下ろす。トラックを返しに行かないと、と一緒にいた男性に言われる。彼は以前の職場の社長だった。

 

 そうか、じゃあ自分は今日は帰れないなと思う。(終わり)

 

 

 (その2)海で二人で釣りをしている。

 

 一緒にいる男性が細長い魚を釣り上げる。

 

 自分の竿にも魚がかかる。引き上げてみると小さなマグロだった。

 

 浜の真後ろは魚屋になっている。そこに釣り上げた魚を持っていく。

 

 魚屋に引き取ってもらう。魚屋さんは私が釣り上げた魚の説明をするが、どこかチグハグ。

 

 魚もいつの間にかアンコウになっている。

 

 私はやや後ろめたい気持ちになる。(終わり)

 

 

    思ったこと

 目が覚める。まだ夜中だ。

 

 久しぶりに長い夢を見た。

 

 山に登るのでなく、下山している。他人の荷物の面倒をみている。

 

 一見いいことのようだが、いつになったら自分は帰れるのか。

 

 

 2つ目の夢の後ろめたさは、自分で食べる気がないのに魚を釣るな、ということか。

 

 

 

 自宅のネット回線の調子が悪い。あれこれ調べる。

 

 うちの母親も教団の活動にWi-Fiを使い出したのでうるさく言ってくる。

 

 ついには信者がやってきた。ルーターの電源を一旦抜いたらいいのでは、と母を通じて伝言してくる。

 

 そんなことわかってるんだよ、と猛烈に腹が立つ。

 

 何でこんなに腹が立つんだ?

 

 彼らがやっていることは一見親切に見えるが、自分たちの活動にこっちを巻き込みに来ている。

 

 親切そうに聞こえることを言いながら、家庭内の出来事に介入し、こちらをコントロールしようとしている。

 

 「あんたの回線が使えないとこっちの活動に支障が出るんだけど」、ということだ。

 

 そういうことが透けて見えたから猛烈に腹が立ったんだと理解できた。

 

 感情のセンサーは、まだまともに働いている。

 

 これを彼らが言うように”私はわがままを言っている・親切は大事だ”とか言って抑え込んでしまったら大変なことになるだろう。

 

 ”いいこと”を考えるように・するように仕向けることで、相手に自主的に動く操り人形のように操作される。無茶も我慢するようになる。それでトラブルが起き、メンタルもおかしくなる。

 

 これが善意や親切をちらつかせて相手をコントロールするやりかたなんだ。

 

 "自主的"に動き出したら、もうほのめかすだけで勝手に動くようになる。だから我々は関係ない、と言いやすくなる。

 

 

 もう自分で金を払って自分の責任でやってくれよ。

 

 

 でも親切と、親切に見えるけれどもダメージが出るものとはどう違うんだろう。

 

 親切は相手の利益や成長のためにやるもの。たとえやった側の思いどおりにならなくても、怒り狂ったりしない。

 

 対してダメージの出るものはやる側の思惑のため、相手を思い通りに動かすためにやる。

 

 思惑通りに動かないと怒るし、成長されて離れていかれても困る。

 

 それに見た目が親切だと、反対も起きにくいし、やった側も良心の呵責が起きないで済む。

 

 問題は見た目でなく動機の部分だった。

 

 

 でも、このことに気づくのにはある程度時間がかかる。物事の全体が見えるのも、ダメージが出始めるのもある程度時間が経ってからだ。

 

 それまでに、相手の都合がどんどん絡みついてくるし、思惑に順応して相手の都合通りに考えるようになっていたりする。

 

 それで気づいたときにはどうにもならなくなっている。

 

 

 教団の考え方に気づかずに同化してしまうと、親切にしてるはずなのにトラブルが起きてまわりに嫌われる。自分の心身にも不調が出てくる。などということが起きる。

 

 それはけっして”迫害されている”わけではなくて、教団の”親切を装いながら相手をコントロールする”、という意図を(無意識ながらかもしれないが)相手が感じ取っているからだ。

 

 誰もコントロールなんかされたくない。そんなことされたらおかしくなってしまう。

 

 自分自身もそのあたりのことがわかるようになるまで、通院やセラピーなどをして何十年もかかった。

 

 

 

 こんな複雑なメカニズムは時間をかけて考えないと解けない。

 

 それを他者に説明するのも大変だ。何しろ見た目は親切なのだから。

  

 

 こんな細々なこと一つとっても大変な労力をかけて考えないとわからない。

 

 他人にわかってほしい、とは思うが、問題が山積みだ。自分でも書いていて、これでいいのだろうか、と思うことも多い。

 

 

 そんな事を考えた。

 

 しんどいことだ。これは本当にしんどい問題なんだ。起きてほしくない・あってはならないくらいの。

 

 関わる人間には気力・体力・知恵がいる。滅多な覚悟では向き合えない。

 

 今回のことも、親切という当たり前のことを疑わなくてはいけない。しんどい上に、一見こっちが悪いことをしているように見える。