暑い。早すぎるだろ。
これから10月までこんなかんじか。
10月というと、・・・半年以上か。
花粉症もまだまだ現役だし、それに加えて日差しが強まったせいでかゆみが強くなっている。
一気にいろんなものが来すぎ。
買い出しに行く。川沿いを歩くと大分落ち着く。
つらくなったら川へ。学生時代からの習慣。
犬を散歩させている人。子どもと歩く人。その人たちと話す人。子ども・母親・犬・おばあちゃん・おじさん。
また考える。うちの中のこと。
父親は母や教団の言うことを聞いてしまう。いくら抗議しても駄目だった。
何故なのか。何故いい顔をするのか。
アルコール依存症の用語でイネーブラーというものがある。依存症の人間のまわりにいて、当人に酒を飲ませてしまう人のことだ。そういう人間がいることで症状が固定されてしまう。
(私は素人なので正確な解釈ではないと思う。でも便利なので使わせてもらう)
何故なのか。当人に騒がれるよりも、酒を飲ませて静かにしていてもらったほうがいいということか。
父は思っていたよりも、メンタルがずっと弱そう。父の家庭も問題があった。だからそういう動機があるのかもしれない。
母や教団に騷がれるよりも迎合?することで穏やかに過ごせる。
わからなくもない。訳のわからないことをずっと言われ続けるのは本当にしんどいし。
でも、たまらないな。そうすることで家族が危機にさらされる。
父も母もそうやって誤魔化して逃げ切るつもりらしい。後始末は誰がやるんだよ。
本当にしんどい。こんなことばかりやっていたらつぶれるな。
読んでいる人もつらいと思う。
そうか、こういうことがあるから、乖離という症状が役に立つのか。
自分自身は自分自身の問題から逃れることはできない。だから意図的に心身の一部分の感覚から自分自身を遮断して潰れないようにする。
でも、そうすることで心身の一部の機能が使えなくなり、生活に支障が出る。まわりともうまくいかなくなる。まわりの人間が感じることを感じられないからだ。それでもめる。
とにかく父もはっきりと問題の一部だった。それがわかった。
頑張ればどうにかなるような問題でもないのかもしれない。身体がもたない。
すべてを放り投げて逃げることも考慮にいれないといけないかもしれない。
川は助かる。一時ではあるけど考えなくて済む