晴れ。GWらしい良い天気。
さらに読書する。「群衆 ーモンスターの誕生ー」(今村仁司著 ちくま新書)
思い当たることが多すぎて少しずつしか進めない。以下一部引用。
しかしこの流動的群衆は、単純に一様な塊として蠢いているだけではなく、相互に敵対関係の状態にあります。
流動的群衆は、その相互敵対状態を乗り超えるために、その敵対的力を異物の排除に振り向けるのです。
内部に排除すべき異物がなければ、外部に異物を、現実的であれ想像的にであれ、作りだしていく。排除されるべき第三者が見つかり、それに向けて全員の暴力を集中していくとき、群衆は痙攣的に固定化する。
引用終わり
また思い出す。昔母に教団のことについて何か聞いたり異論を述べたとき、母は大混乱してほかの信者に電話してた。
それで「彼はサタンだ」とか、「悪霊が入った」などと言われる。
そりゃねーよ。ただ疑問があったから聞いただけじゃないか。
ずっと疑問に思ってきたけどこういうことか。疑問を抱いた人間を教団の秩序維持のために利用していた。そのことで団結が強まる。私はただそのためだけに利用されたということか。不愉快なんですけど。
・・・でそれってどういうことなんだ。仕組みはともかく大変に困っているんだけど。
(動揺はともかく他人を悪霊呼ばわりするなんて中々ない。暴言・暴力を振るわれる理由がユニークすぎて訳が分からない。それだけ不安定で無理筋なシステムだということだろうか。
というか親にこんなことを言われて普通にショックだし。今気づいたけれど彼ら質問には全く答えてくれていないな。
問う・答える(応える)の仕組みが壊れている。ショックすぎてこのことに気づかなかった。
何故か、疑問に思ったことを聞いたとき、「そんなこというけどあんたなあ。~わかるやろう」という全く疑問に答えない日本人特有の返答が思い浮かんだ。これの変化バージョン?)
そして世の中の集団はどれもこういう傾向があるらしい。異論を持つ他者がいることで団結が強まる。
ということは、そこに疑問を持ってしまった自分はそういう世の中の仕組みそのものからはじかれてしまったのか。
何となく気づいていたけれど、世の中の人々は被害を受けた人間よりも、ああいう団体のほうに共感を持っているような気もしていた。それはこういうメカニズムなのか。
(中身はともかく)集団というものの仕組み同士の共感。そこからはじかれてしまうこと。
まいったね。しんどいや。
(世の中の人がSNSなどで被害にあった人たちをたたくのも、相手がどうかよりは、ただ安定が欲しいからだろうか。それだけ不安定な世の中を生きている?)
この本の著者はどういう人なんだ。・・・すでに故人なのか。彼のような戦前戦中生まれの人のほうが筋が通った真っ当なことを言っていると思う。
最近の人は発言がおしゃれ、というか突拍子がなくてわからん。
・・・こっちの理解力の問題? そんなこと言われても。突然新しいアイデア出されても困るというか。筋道の問題か。
書き出してみて改めて思う。異物をたたくことを秩序の維持のためにやっているのだったら、疑問の内容がもっともかどうかや、疑問を持った相手が敵意や害意がないと言っても、そんなことどうでもいいことなのではないだろうか。とにかく騒いでたたく。私としては悲しい話だ。
こっちの素直な気持ちとしては、困っていて疑問があるから聞いたのに、考えなしに条件反射でたたかれたらかなわねーよ。ということだ。
世の中はGWでしかもこんなにいい天気なのに、こんなことを考えている。それってどうなんだ。
これもはずれているということか。
個人の好みかもしれない。