曇り。
午後から雨の予報。
買い出しに行く。
昨日みたいに暑くないので楽だ。
電車に乗り、駅で降りて歩く。まだマスクをしている人のほうが圧倒的に多い。
ドラッグストアに入る。日焼け止めを買う。自分はアトピー持ちなので無添加のものでないとダメだ。
しかも相性があり無添加ならどれでもいいというわけではない。だから新製品に飛びつくのは危険。
いつも使っているのもの探す。・・・ない、もうなくなってしまったのか? なんとか見つける。他の製品は大量にあるのに自分が使っているのは一個しかない。まさか生産終了?
こういうことがあるから見つけたときに大量に買っておかなければいけない。面倒。
買い物を終え、昼食を取る。注文はタブレットでする。最近急速に増えてきた。
注文しづらいのでタブレットを手元に取ろうとしたら、取り外さないでください、と店員に注意される。
よくみるとタブレットにもそう注意書きがあった。中腰でタブレットを使う。
料理自体は美味しかった。おばちゃんも親切だったし。
そして本日の最難関イベント。スタバに入る。いつもならスタバやおしゃれな喫茶店は入らない。読書がしたかったが、まわりに喫茶店がスタバしかなかった。
注文の仕方がいまだによくわからない。商品名もやたら長いし。自分はやや滑舌が悪いのでハードルが高い。
とりあえず、メニューの一番上の広告の商品を指さして頼む。
次はサイズだな。よし、これも言えたぞ。
・・・サイズは一種類だけの商品だった。
なんだか負けた気がする。いやそういうことじゃないんだけど。
店員さんはサイズを復唱してくれた。前来たときよりも店員に人間味?を感じる。
でも自分にはやっぱりハードルが高いや。長い商品名。商品の分岐(種類)の多さ。分岐がないのも分岐のうち。それに今回は引っかかった。(のか?)
こっちが無意識にきっちりと分類されたマニュアル的な注文を要求しているのだろうか。
店内の無駄のないシンプルな感じも、「これくらい(説明しないでも)わかりますやろ?」と言われている気がするし。一見さんお断り的な。
いや、そんなわけないけど。でもこれに不安を感じるということは、過剰に情報を叩き込んでくる日本流のマニュアル接客にもそれなりに意味があるということなのだろうか。
目の前に全部情報を並べる。(半ば強制的に)順番通りに進める。それに慣れすぎた?
そんなことを思った。
席につき、まわりを見回す。奥にいる若い女性二人連れは、除菌アルコールスプレーと除菌ティッシュで丁寧にテーブルと椅子を拭いている。コロナ後の習慣か。あるいは潔癖症なのか。
隣には品の良さそうな老人二人。「〜ということがありましてね」「はあはあ」などと、本の中でしか見たことがないような話し方をしている。
私がこういうおしゃれな喫茶店で楽しみにしていること。上に書いたような人間観察もそうだけど、それは格好いいノートパソコンを見ることだ。
やっぱりMacが多いように思う。というか他で見たことない。おしゃれでびっくりするぐらい薄い。
やっぱり値段は高いのだろうか。
・・・ところでこれどうやって飲むの。クリームの粘度高いし。紙のストロー使いづらいし。
なんとか飲んで帰る。読書もそれなりに捗った。
やっぱりスタバは自分には早すぎた。
不器用な自分には難しかった。過剰サービス気味のガチガチの日本のチェーン店でないと難しかった。
でも、これに適応できないというのは”障害”にあたるのだろうか。(まあタブレットもそうだったけど、適応できてないにせよ、店員のお陰でなんとかなった)
喫茶店でいっぱい考えた。考えることがちょっと変だけど。
(今思うと、「スプーンください」と一言言えば済んだ気がする。読書したいだけなのに考えることが多すぎ)
ここのところ、宗教2世の当事者の話を読んだり聞いたりして、想像以上に疲れているようだ。
喫茶店のことだって、いつもだったらメニューや紙のストローが悪い、とかいって”他人のせい”にして終わっていたかもしれない。
他人のせいにできることが健康のバロメータってどうなのよ。とは思う。
でも私の場合、負い目を感じ始めたり、”感謝”とか言い始めたら危険信号。これは経験則。・・・どんな人間なんだよ。
こういうときにはいつも以上に、いつも通りにしなければ身体がもたない。これも経験則だ。
チャレンジなんて無用。負荷を増やすな。
この結論でいいのか?
まあ安全策を取ったほうがいいと思う。体調が変なのは確かだ。
帰って洗濯する。そして少し休んだ。