雨。 久しぶりの大雨。
台風が来ている。
さっさと買い出しに行く。いつ電車が止まるかわからない。
久しぶりに都内に入る。買い物を済ませ喫茶店で一休み。
そして食事をする。駅構内の和食系のお店。都会はおしゃれなものがあるな。
うどんを頼む。店員に何か言われたが早口で聞き取れない。喫茶店でもそうだったが都内の店員はとても早口だ。
アレルギーは無いか、と聞かれたらしい。まさかうどんを食べるのにこんなことを聞かれるとは。
都会はすごいな。
味の方は自分には合わなかった。薄めの色だがしょっぱいつゆ。関西風の味付けというのだろうか。自分はどす黒い色のつゆでないと無理だ。私は関東の人間だと再認識した。
駅で電車を待つ。また考える。家庭内の問題。
自分は母の入信していた団体で子ども時代を過ごした。それは短期間であったが、思っていた以上に自分の人格の一部になっている。
無視して自分のしたいことをすればいいのでは、と思ってきたが、真剣に考えれば考えるほどそうはいかないことを思い知った。
信仰もなく、興味もないけれども、向き合ってそれらと自分とこの世界との間に何とかして接点や道理を見つけないといけない。
嫌だけどそれをしないと一歩も動けない。自分の内面はかなりの部分その都合の悪い何かでできてしまっている。それで動けば動くほどトラブルが起き、まわりに迷惑をかけ、自分もしんどくなる。
本当に困ったことだ。自己実現とかそういうレベルの話ではない。
本当にマイナスからのスタート。こちらの自由という訳にはいかなかった。選択肢はあまりない。
考えれば考えるほどこれは深刻な問題なのだと認識させられる。宗教2世って大変なんだ。
何言ってるのかわからないって? 大丈夫。自分もわからない。だから困っている。でも具体的な困難があることは認識できてきた。
あの団体よりもこの世界の方がずっと広い。だから大丈夫なのではないか。そう思いたい。
でもあんな過激な考え方が自分の一部分になっているのだったら、どうやって世の中と折り合いをつければいいんだろう。
昔読んだ「時計じかけのオレンジ」という小説を思い出した。映画版も観た。
主人公はルドビコ療法(だったっけ?)から抜け出して"本来の"自分を取り戻すのに大変に苦労していた。
小説版では最後に、自分だけのデボーチカを探す、と言っていたっけ。確か。
何のこっちゃだけれども。それが人間味ってやつなのか。
今確かなことは、困難をより具体的に認識できるようになった。ということか。
あんまりそっちの方ばかり見ていると潰れるのでやめておく。
電車が来たので乗る。電車はあちこちで起きている不具合の影響を受け、止まりながら進んでいく。
何とか地元の駅まで来た。地元の幼稚園も早退らしく、お迎えが来たり送迎バスが一斉に出て行ったりと忙しそうだった。
やっとうちまでたどり着いた。もうヘトヘトだ。風呂に入り洗濯機をまわす。
それにしても最近読んだあの本のアイデア、本当に良かったな。
あの団体は本来ある“神の恵み“を自分の団体の努力目標にすり替えてしまった。
努力して一生懸命団体のために働かないとその“恵み“は手に入れられない。いや手に入るかどうかは全くわからない。
だから際限なく団体の言うことを聞かなくてはならなくなってしまった。そういう話。
本当に酷い。
でも感じる。こういう風に整理できることこそ本当の知恵だと思う。何だか中世から近代の過渡期を生きているみたいだ。理性の目覚め。