雨。梅雨らしい天気。
夢を見た
曇り。郊外の道を多人数で歩いている。遠足の帰り。
カワサキという街らしい。
かなり交通量のある道の歩道を歩いている。
反対側から親子連れが来たので止まって道を譲る。
後ろから、止まらずに進めよ、と声がする。
大雨のあとなのか道に大きな水溜りがあちこちにある。
それらを避けて進む。自分は裸足のようだと気づく。
後ろから来た男子は構わず水溜りの中に入っていく。
あまりに水溜りがひどいので道をそれてアパートの敷地を進む。
小さな川に出る。元歩いていた道に戻る。
橋を渡る。橋ではなく何かのパイプの上だった。慌てて隣にある橋に飛び移ろうとするが、橋との間にかなり隙間があって川に落ちそうになる。
「カワサキこえーよ」と一緒に歩いていた人間に言う。心の中で、こういう環境だからカワサキの子どもは丈夫なんだろう、と思う。
商店街まで来る。大きな建物の中で点呼。他の班がその場にいないメンバーに電話をかけている。
そのメンバーはコンビニの制服を着てやってくる。遠足の時間が予定よりも延びてしまい、コンビニでのバイトの時間がきてしまったらしい。
電話をかけた側の人間も同じようで同じ大手チェーン店の制服を着ている。
先を進む。アーケードの通路で東南アジアの女性がドライフルーツを売っている。
一緒に歩いていた女子が買う。自分は一口食べたいと思うが言えない。(終わり)
思ったこと
目が覚める。外は雨が降っていて落ち着く。
Twitterで宗教2世界隈?の人たちのツイートを見る。思ったよりたくさんの人が発信していて驚いた。というかグッタリした。
たくさんの情報をあびるのは有害だ。改めて思った。焦りの感情がひどい。もっと情報の“窓”を絞ったほうがいい。
だが、そのおかげで昔のことをいくつか思い出した。
今思うと子ども時代の自分は本当に嫌なやつだった。気に入らない奴がいるとかなり徹底的に文句を言った。
それを思い出した。というか昔からそれにはうっすらと気づいていたが、その記憶をあまりダメージを受けずに受けとめられるようになった。
その“嫌な奴“になるにはかなり環境の要因が強い、ということを理解できたのが大きいのかもしれない。理由がわかるようになった。自分を遠目からみることができるようになった。
また別のことを思い出す。母の入信していた団体から離れたときのこと。あれは小学校高学年くらいだったか。団体の教えをおかしいと思うようになって、そのことを母に言った。母はパニックになって、団体の地元の偉い人を呼んだ。
私は来た“偉い人“に言った。この団体はおかしい。バックに何かいるのでは。上の方は搾取したお金で贅沢しているのでは。(のちにこれはそこまで間違っていなかったことがわかった。ネット社会のおかげだ)
まだ小学生だったので難しいことはわからず、家庭内の問題と団体の問題を分けることもできなかった。でも必死に喋った。
それを聞いた“偉い人“の結論は「こいつは使えない」ということだったらしい。おかげで団体から離れることができた。これは以前も書いたことがある。
団体から離れることができてホッとしたというよりも虚脱感がひどかった。それはおさまることはなく、数年後精神科の病院に通院することになった。
こういう記憶や思いは出し切らないといけないようだ。忘れて前に進むのがいいという人もいるが、それは無理だった。複雑な問題なのかもしれない。問題への理解と段取りを組んだケアが必要。
出し切ってどうなるのか。心安らかに死ねる、ということだろうか。これもちょっと病んでるか。死がゴールなのか。
でも来世がある、とか、永遠に生きる、とか言い始めたら破綻してしまう。そんなことをいくらでも言うことができるからだ。努力のしようがない。信じたら言った相手の言いなりになってしまう。
そんなことを思った。