曇り。
雲が蓋をしていて大変に蒸し暑い。
今年は空梅雨なのか。
夏のプレオープン。
夢を見た
朝。大きな道路。車を運転している。
職場か学校に向かっている。
交差点に来る。本来なら右折だが直進する。いつものルートは飽きた。
小学校のそばの細い道を入る。登校時間帯だから注意しないといけない。
気がつくと、違う場所にいて坂を下っている。(夢の中だが)意識が飛ぶようでは車の運転はダメだろうと思う。
いつの間にか助手席に父が乗っている。迷ってどうしようもないので元の道に戻ろうと思う。
道路の脇には線路。地元の県なのに駅名に心当たりがない。
信号で止まる。ブレーキが効きづらいので思い切りペダルを踏む。
前の車からおっさんが降りてくる。ぶつかりそうになったので抗議に来たのか?
緊張したがそういうわけでもないらしい。前の車の後部座席からさらにおっさんたちが降りてきて道路脇のラーメン屋に向かう。
彼らが乗ってきた車はどうなるんだよ。
さらに進む。父の指示で高速に乗る。料金所を過ぎると道路が階段になっている。突き当たりに係の女性がいる。
係なんだから何か言ってくれよ、と思うが彼女の仕事ではない気もする。
高速道路本線に合流する。乗ったはいいもののこれでいいのかと思う。(終わり)
思ったこと
目が覚める。相変わらず迷子だ。というか、むしろ迷子になりたいのでは?
寄り道・道草こそが人生なのかも。もうそんな感じだ。目的地に着いたら死ぬのか?
目的本位って意外ときついのかもな。遊びがない。遊びがないと人間に余裕や幅がなくなるらしい。
たとえ遊びであっても全力で味わう。そうしないと後悔するし成長しない。これまでの人生での苦い学び。そして遊びには余裕が必要。
学校の勉強だけ一生懸命やる。そういうことではなかった。それだけでも必死だったが。
まあ、“それだけ“ではなかったんだけど。家庭内の問題。
他人の都合を生きさせられること・生きること。そのこと自体がとてつもない悪いことだった。
まあ、子どもの場合ある程度はそうなるんだけど。でもそれだけでは潰れてしまう。ちゃんと観察して軌道修正しないといけない。
だから子育てにはとてつもない手間がかかる。あらかじめの正解はない。だけど今はそれが難しい。皆忙し過ぎる。ずっと目を配るなんて無理。そういうことだろうか。
まーた親・社会のせいかよ。でも、そうすることで問題を冷静に観察できることも事実だ。他人のせいにすることの効果。
特に環境やメンタルに問題ある人の場合、100%自分のせいにしてしまうと、病んで通院することになるか自死するくらいしか選択肢がなくなってしまう。
それくらいしか自分で自由になるものがなかったということ。
他罰的な態度がいいというよりかは、問題から距離を取れることがいいのだと思う。自分の問題であっても突き放して見る。罪悪感を感じる必要はない。自分にも優しくする。これが自分でなくて他人が置かれた状況だったらそんなきついこと言うのかよ。もっと気を使って発言したり行動するだろ? ということだと思う。
それが自分の出した結論。自分の経験したことに対する一つの“けり“のつけかた。それを書くこと。