晴れ。
朝から蒸し暑く空気が重たい。
10月くらいまでずっとこんな感じなのだろうか。
梅雨が過ぎたら空気の重さはマシになると思うが。
夢を見た
夜。山を登っている。
山の中腹にくる。小さな町のような場所。門前町か。
そこでいったん泊まる。下水が整備されていないのかトイレがやたら汚い。とてもじゃないがこんなところで用は足したくない。
早く先に進みたいがそうもいかないらしい。そもそも登りたいのか下りたいのか。そばに同級生がいる。(終わり)
思ったこと
目が覚める。登山の夢も時々見るな。夏だからか。
宗教2世のTwitterを見たり、本を読んだり。参考になるというか、大変きつい。
・・・で何がしたいんだっけ。依然として自分のいちばんの願いは「休みたい」だった。だからこれは逆方向の努力だ。やればやるほどキツくなる。
でもあれこれ動いて気づいたことがある。世間一般の「こうしたらいい」というアドバイスや正解は全く役に立たない。むしろ有害。調べれば調べるほどそうだった。自分だけのまっさらな世界を進んでいる。
それが社会から放り出されたということらしい。そのおかげでやたら眺めがいいけど。誰のせいでもない。自分の性分らしい。
休みたい・味方が欲しい。「あれをしろ・これをするな」「あれはダメだこれはダメだ」「いうことを聞かないと酷い目に遭うぞ」という人間でない味方。
Twitterを見ると、それなりに生活を立て直せている人は大抵嫁か旦那がいる。そいつは厳しいな。ハードルが高い。
また昔のことを思い出す。記憶の整理。
自分がはじめてカウンセラーにかかった何十年前にも、宗教被害者の自助グループみたいなものはあったらしい。カウンセラーに勧められたことがある。
でも当時の自分の気持ちとしてはもう宗教はまっぴらだった。今でさえ大変なのにさらに努力をしないといけないのか、という思いもあった。
さらに思い出す。そういうグループの存在については教団側も把握していたらしい。カウンセラーに聞いたのとほぼ同じ時期に母から「集まってお酒を飲んでくだを巻いているだけの集まり」という大変に辛辣なコメントを聞いた。
ひでえな、そう言うことで外での交流の可能性にネガティブなイメージを植え付けている。今はそう思う。
それ以前に、自分たちの活動で被害を被っている人たちがグループを作れるほどたくさん出ているのに、そのことをなんとも思わないのはどういうことなんだ。
そんなことを思った。
とにかく努力の方向性がおかしいのかもしれない。