korenannan’s blog

関東地方某県に住んでいます。日々思ったことを書きます。時々放ったらかしにして期間が空くことがあります

「親切」は今だけ・具体的なことだけに止めておく

  今朝はさらに寒い。暖冬ではなかったのか。

 

 テレビでは暖冬と言ったり例年通りと言ったりコロコロと変わる。

 

 そのコメントに振り回されている。

 

 その日が寒かったら寒いな。暑かったら暑いな、でおさめておきたい。そうでないと自分みたいなタイプは心配事が増えるだけだ。

 

 

       夢を見た

 その1:自宅から歩き出す。自転車に乗っている女性が事故を起こし倒れる。救急車を呼ぼうと携帯を取り出す。携帯は以前使っていた古い機種だということに気づく。まあいいや。緊急連絡はできるだろう。(本当か?) 電話に出た人間はあれこれ聞いてきてらちが明かない。

 

 その2:とある町工場にいる。2代目の若夫婦と話す。奥さんのほうは漫画も描いている。そのことを聞くとあの連載は担当と折り合いがつかなくて終了したという。

 

 その3:山の中の湖の畔にいる。有名な観光地らしく人がたくさんいる。ヘリコプターが墜落する。駆け寄ってみるとパイロットはすでに息がない。通報しようと携帯を取り出す。また旧機種だ。緊急連絡はできるだろう。(本日2回目) 出たオペレーターはだらだらと話しらちが明かない。これも2回目だ。その辺を歩き回りながら延々と話す。電話を切る。警官がいたので話してみたら。警官の格好をしたお笑いの人だった。

  

 現地に戻ってみると皆何事もなかったかのように遊んでいる。事故のあともまったく残っていない。流行している遊びがあるらしく、皆それをやっている。自分だけ取り残された感じだ。

 

 その4:学校にいる。昼食が終わった。土曜なのに午後の授業もあるらしい。私は具合が悪い。担任にそう言って帰ることにする。女子が保健室に連れてってあげるという。保健室は1階の入り口のわきにあった。長いこといるのに保健室の場所は知らなかった。ノックすると校医の女性が出てくる。午後は1時からだという。まだ12時50分だ。入り口で待つことにする。他の生徒も来て並ぶ。なんだかモヤモヤする。

 

 夜何度も起きる。結果たくさんの夢を見た。

 

 

      思ったこと(やや暗い話です)

 昔のことをしつこく思い出す。母は介護の必要な人を抱えて大変だった。父は仕事で忙しくうちの中のことはまったくノータッチだった。

 

 そこに宗教の人が来た。宗教の人は優しく介護は大変ですね、と言ってくれたらしい。そして時々助けてくれた。母は宗教にはまった。

 

 私はというと子供だったし宗教にはまったく無関心だった。それに彼らの言うことは毎回変わり支離滅裂だったので信じるどうこう以前に意味が分からなかった。(今考えてみると、支離滅裂だから強いのではと思う。論破されないし、都合のいいところだけ取り出せるし。でもそれでは躾のなっていない子供と一緒だ。秩序は滅茶苦茶にされるし。彼らは論破されたり責任を追及されるのを防ぐためにそういったことをやったのかもしれない)

 

 また彼らには表情というものがなかった。そこも気味が悪かった。

 

 母は変わった。宗教の活動に熱心になった。私が宗教に疑問を挟むと脅し暴力をふるった。

 

 今思う。あれはどういうことだったのだろう。助けてもらえて嬉しい。そこは確かだし、疑問を挟んではいけないと思う。問題はそこから先だ。だから彼らの言うことをすべて聞いてしまう。そこが間違っていたようだと思う。

 

 人間のやることは完璧ではない。だからすべてを鵜呑みにしてはいけない。それはやる側もされる側もそうだ。完璧だと言い張ろうとしたら自分や他人に無茶を要求することになる。どこかの国みたいにだ。

 

 人間というのは根拠のないことでも平気で信じてしまう。そういうことらしい。理屈はただの理屈だ。人は間違う。それを自覚すること。

 

 人に親切にしてもらったら、ありがとうと言う。そこで完了しなくてはならない。あとからダラダラとついてくるものをすべて受け入れてはいけない。それを要求してきたらそれは親切ではなくただの取引だ。それには応じられないとはっきりと言わなければならない。

 

 とはいえそれは難しい。相手が一人でなかったらなおさらだ。彼らはそういうことに関してはとても洗練されているようだ。親切を前面に出して立派そうな理屈を言い、どさくさに紛れていろいろと要求を突っ込んでくる。個人に悪意があるとかないとかというよりもそのメカニズム自体が”悪”だった。

 

 ひどい目にあっていろいろと考えたが、人間は自分が完璧で絶対だと思っている。だけど人間は間違う。他人は自分の考えていることとは何の関係もない。それを自覚していることでとんでもない間違いはお互いある程度防げるのではないか、と思うようになった。

 

 あと、こんな親切をしてくれるのだから、おかしな人ではないだろう。ひどいことはしないだろう、という予断が事態を悪くしたと思う。人というのは善人悪人関係なく他人を陥れることだってある。人は間違う。(そんなこと普通は気づかないよ。とも思う)

 

 自分は善人でも何でもないが、起きたトラブルに対処できる知恵はほしい。そうか個人が善人とかそういうことではなかったのか。

 

 相手が個人でなく人間の集団になったらどう対処すればいいのだろう。理屈はたぶん通じない。動物の群れと一緒だ。

 

 

 

そんな風に取り留めのないことを考えた。

 

 今母に言うことがあるとすれば、人間完璧じゃないんだから気にするな。

だろうか。あなたが彼らのでたらめに関して責任を持つ必要はない。親切に関してですらそうだ。

 

 ずいぶん上からの発言のようだがそうでも言ってとりあえずけりをつけるしかない。

 

 

 こういったことを考えるのになぜか戦争の本がとても役に立った。

 

 

    今週のお題「感謝したいこと」

 だから、感謝もその瞬間だけにしておく。次の瞬間はまったく別の話。

 

 (無理やりお題を回収しました)