晴れ。穏やかだ。
鬼の居ぬ間に換気だ。なんだそれ。
家事をしたらいい気分転換になった。まだいける。
だけどどこかでもっと大きな気晴らしをしないと
ある日突然動けなくなる。それも経験で知っている。
思ったこと
しつこく過去のことを思い出す。学生時代ああすればよかった、とかこうすればよかったとかさんざん後悔した。でも私にとって学校とはあまりに巨大で、世界のほぼすべてですらあった。人間は環境に依存しないと生きていけない。自分の立っている地面を否定したり動かしたりすることはとても難しい、というか不可能だ。最近そのことに思い至った。
今そのことは考えることができるのは、学校や仕事以外に大事なものがあるとわかったからだ。まったく別の世界や価値観を知ることは大事だった。そこから今いる場所を眺めることができる。
学生時代に別の世界がなかったわけではないが、ああはなりたくない・ああなってはいけない。という類のものだった。余計逃げ場がない。そこに落ち込まないように気張らないといけない。それがよかったのか悪かったのか今となってはわからない。
何のためにこんなことをしつこく考えているんだ、という方もおられるかもしれないが、これは絶対に必要なことだった。特にトラウマを抱えている人間にはこれが必要。自分に起きた出来事を自分の言葉で説明して理解できるようにする。といっても理屈の世界の問題ではなく、そうだからそうなのだ、というところまでもっていく。言葉と自分が感じている感覚の世界をちゃんとつなげてやる。不条理に道筋をつける、とでも言うのか。自分は専門家でないので詳しくはわからない。
最近まで自分もなぜこんなことをしているのかわからなかった。父も”そもそもの”話なんかするな、と言っていた。自分もそうなのかもと思っていた。だが、のちになって父は家族のことにはまったく興味がないことに気づき、その言葉を気にするのをやめた。記憶の中にある母の怒りと涙の意味がわかった。
トラウマを癒すには記憶と今の自分の感覚・自分にとっての大事なこと・道理をつなげる必要がある。そういうことだった。
いろいろあったけど、お前はよくやったよ。そういうことだった。