晴れ。
蒸し暑いけど慣れたのかさほどではない。
冷房をつけないとPCがまともに動かないレベルなので
過酷であるのは事実なのだろう。
気をつけて水分補給する。
夢を見た
また学校に向かっている。ああまただ、と夢の中で思った。一生懸命移動するがけっしてたどり着けないやつ。細かい内容は覚えていない。まただ、と思うことで整理されてしまったのか。(終わり)
思ったこと
目が覚める。洗濯して買い出しに行く。運動不足なので少し街道沿いを歩くことにする。・・・これは大変だ。熱中症になってしまう。戻れない地点まで来てから後悔する。よくあるパターン。
コンビニからコンビニへと伝って歩くことにする。こんな天候でもジョギングしている人がちらほらいる。鉄人だ。
カメラを持ち出して撮ってみる。一度撮りだすとカメラの目?ができてくるのか、あれも面白そうだ、これも面白そうだ、となってくる。だけど今俺は無心に歩きたいんだよ。天邪鬼な性格。カメラはいったん脇に置くことにする。
使っているのは10年位前のコンデジだ。一眼にくらべたら小さく軽いのだがそれでも持って歩くのに少し面倒を感じる。
それにカメラを取り出すとまわりの人が「なんだ、なんかあるのか?」となるので撮り慣れていない自分は恥ずかしい。
とある映画でカメラのレンズを向けるのは銃口を向けるのと同じだ、という主旨のことを言った人がいる。(「リスボン物語」ヴィム・ヴェンダース監督) それくらいのざわつき。
どうすればいいんだろう。もっと小さくて軽く目立たないやつか。みんな持っているのが当たり前な感じの。・・・スマホじゃん。写真を撮っていてもどこかにアップするんでしょ、くらいにしか思われない。そういうことか。いいなスマホ。元々ガジェット好きな自分は高性能なのが欲しい。路上観察がはかどるツール。スマホの必要性を具体的に切実に感じた。はじめてかもしれない。
考える。自分のまわりでは訳のわからない不条理な亡くなりかたをする人が多かった。どうも自分はそれらの死を背負い込んでしまっているらしい。
死だけではない。不条理な学校、病院、暴力などそういった体験したこと見たことを全部背負い込んでしまっている。
あなたは優しい、なんてよく言われたけれどそんな生易しいものではない。記憶に縛られて動けなくなってしまっている。こんなこと誰も教えてくれなかった。
その自分の中の彼ら(ほとんどは彼女ら)の記憶を何とか整理しなければいけない。考えてけりをつけなければいけない。片手間にやるわけにはいかないようだ。そんなに自分は器用ではない。
これはトラウマというのとは違うものらしい。だから治療ではどうすることもできない。どちらかというと供養に近いと思う。
あと言葉の使い方にも大きな問題を抱えている。母のいる教団は言い逃れがものすごくうまい。それで大変に迷惑をこうむった。最近のネットや国会の討論などをみてもそういうのであふれている。
言葉というのは思ったよりも中身がスカスカなんだと気づいた。それ自体は別に素晴らしくもなんともない。使い方を間違えるとものすごいトラブルを起こす。言葉の性質をちゃんと見極めたい。
彼らは何をやっているのだろう。対話をやめてしまい、有利な立場を利用してゴリ押ししているようにみえるのだが。そのために理屈や言葉を使っている。暴力としての言葉。
物理的に目に見える形で暴力をふるっているわけではないので平和的に解決しているように見えている。だがネットによる誹謗中傷で人が亡くなることもあるのでやはり暴力だ。この場合の言葉は呪いの一種か。Evilじゃん。魔法の使い方がわからずにおかしなものを召喚してしまってすさまじいトラブルになった。そんな感じか。”女神転生”という昔のゲームみたいだ(あれはちょっと違うか)。言葉にはそれくらいのパワーがある。
いつのまにか弱肉強食の世界になってしまっている? まいった。
でも話し合いができないんじゃ、高度なことは無理だよ。言葉ってどうやって使うんだっけ。
そんなことを考えた。