晴れ。尋常ではない寒さ。
台所の温度計が3℃だった。
こんなこと初めてだ。
思ったこと(若者時代の思い出話)
今週のお題「大人になったなと感じるとき」:
なんでこのお題なんだろう、と思ったら成人式なんだな。
この時期はいつも天気が荒れる。成人式・センター試験(自分の世代。今は何試験?)
自分の二十歳前後を思い出す。私は成人式には出なかった。なぜだ。
ボロボロだったんだ。大学には通っていたけどまったく合わず(今思うと算数すら怪しいのに理系に行くなんてどうかしてた。暗記で点数が取れたのをできる、と勘違いしていた。恥ずかしいというか”痛い”思い出)かといって進路変更できる余裕なんてまったくなかった。
幻聴が起きたり視界が白くなって黒板が見えなくなることなどの症状が出て大変だった。この「大変だった」ということに気づけたのは最近になってからだ。当時は必死。それしかない。
うちの中も精神的に不安定な人や介護で大変でおまけに宗教も猛威?をふるっていた。具合が悪くなっても居場所はなかった。友達を家に連れてくると宗教に引きずりこもうとするので友達を連れてくることもできない。友人の存在を知られることすら危険を感じた。のちにそういうのが面倒なので友達を作るのはやめた。私には人間嫌いの性格もあるのかもしれない。孤独になってずいぶん楽になった。
幸か不幸か理系の大学はカリキュラムがぎっしりと詰まっていて、気がまぎれた。月曜日から土曜日まできっちり授業があった。それなりに話し相手もいたし助かった。だから学校は休まずに通った。暗記だけで点が取れる授業のみでなんとか単位は取れていた。
髪の毛はぼさぼさで肩まで伸びていた。ガリガリに痩せて目だけギラギラしていてまるで獣だった。成人って「人に成る」と書くけれどそれどころではなかった。私はいつ人間になったのだろう?
父は仕事が忙しく話すことはなかった。それでも一度話したことがある。そのとき父に言われた「負け犬」という言葉がじわじわと効いた(また獣だ)。父はそのときウイスキーを飲んでいた。
父はクズだなあ、と余裕が出てきた最近になって思った。だが同時にそのクズの血をしっかりと引き継いでいることも自覚した。親を怒るよりもそこをケアするほうがよい。血筋は確実にある。
そんなこんなで具合が悪くなってケアを受けて何とかなった現在、自分が若者にアドバイス(というか自分のための備忘録みたいなもの)があるとすれば、
- 進路は何となくよさそうだと感じたものでOK。理屈や就職のことなどで合理的に選ぶと、後々きつい。自分の感覚を大事にしないとあとで自分に裏切られる。自分が味方でなくなる。
- 人に迷惑をかけてはいけない・みんな仲良く、などの規則?が通用する世界は意外に狭い。その”常識の”世界から外れた人間にはその規則が首を絞めることになる。迷惑をかけられた人に抗議すると迷惑をかけてはいけないと言われたり、そういったねじれた関係。決まりとはその程度のものと思っておく。だけど外れたのは自分だけでまわりは常識の世界で生きていることも多いので切ない。一人だけアウトローの迷惑な人。一人で戦場にいる感じ。
- あきらめるのは早いほうがダメージが少なくて済む。
- そうはいってもどうにもならないことも多い。そういうときには何とか今だけをしのぐことを考える。とにかく自分はよくやっていると思う。味方を見つける。
などといろいろ書いてみた。100%個人の感想だ。成功するための秘訣というようなものではない。なんとかしのげただけだ。成功則は”成功”した人に聞いておくれ。
今思うこと
最近になってやっと自分というものがわかってきた。自分は勉強が好きだ。だけど学校は苦手。
漠然とした言い方だが自分の性格は女子寄りなのかもしれない。文学とかいろいろ。今思い出したが父もそう言っていた。不思議だ。(父は「女子供」という言葉を使うタイプの人間だった)
そのしなやかで実際的な、女子力?に助けられたのだろうか。
時間が経過してもう若者ではなくなった現在、自分の性格がやっと少しわかってきた。
そのことでほんの少しだけ大人になった気がする。