曇り。寒いが慣れたのかそんなに苦痛ではない。
慣れたころに季節が変わる。
変化するのは切ない。
思ったこと
自分にこれまであった出来事についてブログで延々と考えてきました。考えて書くとそこで気づきが起きる。不思議だし楽しい。
読んでいる人には何のことだかわからないだろうな、ということにやっと気づく。
これまでの記憶にとらわれないように書き出して理解する、とても個人的な行為。ということだろうか。
前を向くため、というよりも今を生きるためだ。
なんて真っ当そうな理由を書いてみるが正直どういうことなのかわからない。
ということで続けます。誰かのためになるのかまったくわかりませんが。
カウンセリングについて
私はこれまで何人かのカウンセラーにお世話になりました。
楽になったか? というとどうだろう、というのが正直な感想です。
他の人にとってどうなのかわかりませんが私にとっては「傾聴」されるというのはとてもキツイ体験でした。
話していて昔のつらい思いがよみがえってきてしまいかえってしんどくなったり、本当にこの人こっちの話を聞いているのかな? と不安になったりしました。
よかったことといえば、記録する習慣がつきました。それがこのブログにつながっていると思います。ユング派のカウンセラーにもお世話になったことがあるせいか、夢を記録する習慣もつきました。このブログでも書いています。
今気づきましたが不思議なことにユング派の先生に夢を記録しろと言われた記憶はありません。自発的なものでした。
自分が思うにカウンセリングがあまりうまくいかなかったのは、”こうなりたい”という願望や目標が明確でなかったからでしょう。
仕事などでボロボロになって不平不満がたまった人には傾聴も効果があるだろうし、この後のキャリアをどうするか、という具体的な話もできたのでしょう。(あくまで推測ですが)
私のように”根元から折れて”しまった人にはそれは使えませんでした。
それよりも安全と静かな生活が必要でした。いまさらですが。もっと身体や生活に近い部分でのケアが必要でした。
傾聴よりもちゃんとリアクションを返してほしかった、そういうことだったと今は思います。
デイケアについて
そういう人間にとってはデイケアでも思ったような効果は出ません。デイケアも社会で働いていてそこから外れてしまった人間が社会の戻ることを手助けするのが前提だったようです。あくまで個人の感想ですが。
とにかくデイケアのカリキュラムに合わせることに必死でした。
「デイケアのためにお前がいるんじゃない、お前のためにデイケアがあるんだぞ」
と当時いたメンバーの一人に言われたことがありましたが、意味が分かりませんでした。
とにかくバランスをとったりその場のシステムを崩さないように努力することでいっぱいでした。
家庭環境的にそういう努力をしなければ身の危険があった、それが身体にしみついていた。今はそう解釈しています。自分としてはやっていることにちゃんと意味があった。
よかったことといえば、とりあえず居場所があったこと、それに尽きると思います。誰のため? 自分のためというよりもいっぱいいっぱいになっている家の人のためでもあります。
自分と家族の問題が複雑に絡み合っているのがトラブルを抱えている家庭の特徴だそうです。
とりあえず居場所があったのはよかったけれども、自分のための行為でなければ良い効果は起きない。
他人のためにカウンセリングを受け、家庭内を崩壊させないためにデイケアに行っていた。
そういうことでした。今になってやっと気づきました。自分自身が抱えている問題に気づかなければ効果はない。それには相当な準備と環境が必要。
他人のケアをしなければ身の危険があるような環境では自分のケアよりも他人のケアをしたほうが自身にとって利益がある。でもそれではまったく成長しない。ジリ貧になってしまう。
その他のこと
情緒不安定の母やその知り合いの信者とはまともな会話はなかった。自分の都合をねじ込むための言葉だらけだった。文脈や整合性よりもその場限りの自分の都合。
それ以外にもいろいろな人がいた。自分はその人たちの言動を見て育ちました。
「その人たちの言葉や態度にかなり影響されているのかもね」
とカウンセラーに言われたことがあった。
ちゃんとした言葉を探す。そのために本を読んでいた。そういう気がする。
やや長くなりましたが、これがここまでのまとめです。
今週のお題「鬼」
誰かが、というよりも人間同士の関係性に鬼はひそんでいた。
これは今だから言えることです。
具合の悪い当時だったら誰かにそれを投影してその相手をぶっ飛ばしていた可能性があります。
それでは私が鬼になってしまう。まるでどこかの国です。
また無理やりお題を回収しました。
「生きのびるための犯罪(みち)」(上岡陽江+ダルク女性ハウス よりみちパンセ)という本はとても役に立ちました。私は薬物やアルコールなどには依存しなかったけれども、この本の中に出てくる人たちの発言の中に自分の心の声を聴いた気がします。この本のおかげで問題を整理できた部分もあります。