晴れ。朝方は大雨だった。
けだるい感じの暑さ。
ザ・五月病といった感じの天候。まだ早い。
もっとも私は一年中そんな感じだけれども。
夢を見た
病院にいる。具合が悪く検査を受けている。病院は大混雑で予約していない人間はできないというようなことを言われる。
漠然と、ああコロナだからな、と思う。
病院から帰る。自宅は雑居ビルの一室のような場所。学校の寮らしい。具合が悪いので行事には参加できないと言う。
自室に戻る前に購買部のような場所に行く。どんな本を売っているのかチェックする。本はマンガが数冊あるのみだった。
だが本のチョイスが渋めで、岡崎京子さんのマンガが数冊ある。(昔好きでよく読んでいた)
後で読もうと思い帰る。(終わり)
思ったこと
目が覚める。身体が重い。
昔のことをまた思い出す。
父は仕事が忙しかったせいもあってうちの中のことにはノータッチだった。おかげで家庭内では母と母が所属していた宗教団体が猛威を振るっていた。
大人になるまでそう思っていた。その後父は積極的に彼らにおべんちゃらを使っていたらしいことがわかり大変にショックを受けた。具合が悪くなり一時的に口がきけなくなった。
浴びるように酒を飲んでいた父。教団のことをボロクソに言っていた。あそこまで空っぽだとは思わなかった。空っぽの人間は何でも言うことを聞いてしまう。
あれが「虚無」というものだろうか。人間虚無に触れた時には直接脅されたり暴力を振るわれるのとは別の種類のショックを受ける。
身体から力が抜ける。ボロボロというよりもガタガタになる。ゲーム用語でいうSAN値が削られるとはああいうことか。
母もあれと対峙しなければならなかったため宗教によりのめりこんでいったのかもしれない。
いったいあれはなんだったのか。「被害と加害をとらえなおすー虐待について語るということ」(上岡陽江 シャナ・キャンベル 信田さよ子:著 春秋社)を読んだら少しわかった気がした。
その本によると(本のメインの内容は女性に対する暴力ですが)、戦後男性たちはつらい戦争体験をごまかすために酒を飲んで暴力をふるった。彼らは生きたくないので依存症をけっして治そうとしなかった。それは戦後復興の陰の部分として蓋をされてしまった。
というような内容だった。そこに父の姿を見た気がした。父は戦争のときにはまだ学齢前の子供だったから戦争には行っていないけれども。
(心理学の本は難しくてわからない部分もあるが、こういったことをまじめに考えている人がいるとわかっただけでもずいぶん励みになる)
ここ数年でずいぶんまわりのことが分かった気がする。でもそれは他人事だ。自分のケアをちゃんとやらなければいけない。そうしないと次の世代にダメージがまわることになる。