korenannan’s blog

関東地方某県に住んでいます。日々思ったことを書きます。時々放ったらかしにして期間が空くことがあります

変化や努力をしなかったから生きているのかもしれない

 晴れ。湿度が高い。

 

 洗濯する。今年は空梅雨か。

 

 洗濯物を持って階段を上り下りする。

 

 かなりの運動になる。

 

 以前会った年配の女性は2階にはもう何年も上がっていないと言っていたっけ。

 

 

       夢を見た

 テストの夢。また数学だ。もううんざりだ。何とかなる気もしたが、ふとインテグラルってなんだっけ?、と素朴な疑問が出てきて何もわかっていないことに気づきゾッとする。(終わり)

 

 

       思ったこと

 目を覚ます。数学や学校の夢を見るときには無理をしていたり疲れている。

 

 それにしてもなんでこんなわけのわからない苦労をしているのだろう。努力してかえって苦しくなっているみたいじゃないか。

 

 トラウマとか心理的なトラブルに対処するって自分や自分の中の記憶との和解なのかもしれない。

 

 

 これまでのことを思い出す。おかしいとわかっていてもなんで軌道修正できなかったのか。自分の記憶を探る。

 

 軌道修正どころか他人のヘルプを受けるのには大量のエネルギーが必要だった。具合の悪い人間にそんなものを求めるのは奇跡でも起きない限り無理だ。

 

 具合の悪い人間は今の状況をぎりぎりのエネルギーで何とかやりくりして生きている。環境も厳しいし、よくなるどころではない。

 

 そこに他人が手を突っ込んだりして環境が変わると変化に対応するためにそのわずかなエネルギーすら使ってしまい空っぽになる。結果コロッといってしまうことすらある。昔通院していた病院でそんなものを見た気がする。たとえ親切や治療のためであっても変化は危険だ。

 

 具合が悪い。治療する。よくなる。そんな単純な話ではなかった。

 

 必死の現状維持。それだった。たとえ乗っかているレールが自分にあっていなくてもそれどころではない。

 

 いいとか悪いとかいう以前にいろいろと無茶しすぎだった。そういうめぐり合わせだった。

 

 そんな感じだ。

 

 

 言葉の意味や世界観、その人にとって役に立つもの、人それぞれ過ぎてビックリする。大量の人間を一か所に集めて何とかするなんて無茶だよ。言い過ぎか。

 

 

 

    今週のお題「100万円あったら」

 コロナのワクチンを個人的に打ってもらうのにはいくらかかるのかな。ワクチンと打ち手を自分で用意しなくてはいけない? あるいは個人で打てる場所まで行くのにはいくらかかるのだろう。

 

 どこかに旅行に行きたいんだけど、ワクチンが行き渡る前にたくさんの人出があったらパンデミックが起きるのは確実だ。たくさんの人出があったらコントロールは不可能。怖くて出れない。

 

 オリンピックをやる理由がある、という意見があるのは知っているけどなんだかなあ。コロナで大変な人に娯楽が必要とか、なぜかグラディエーターという言葉を思い出した。日本人は堤防や要塞の外側の人間扱いなんですかね? あるいは日本全体がコロセウム扱い? 困るって。

 

 熱くなってしまったけれど、無事にコロナが収束してほしいと思う。そしたらバンバン観光に行こう。普段はインドア派だけど。