晴れたり曇ったり。
雲がものすごいスピードで動いている。
高い雲は東へ、低い雲は南へ。
こんなのはじめて見た。
空を一生懸命眺めたのは何年ぶりだろう。
思ったこと
昨日買い出しに行ったとき、駅の総菜屋さんで見た風景:
店員が唐突に「お名前よろしいですか」と客の老婦人に聞いていた。
言われたほうは何のことだかわからずキョトンとしている。
名前を聞くならまず自分から名乗れ無礼者、って違った。
「出来上がったら呼びますのでお名前を教えてください」ということだ。
そこを省略してはいけない。マニュアル用語?は難しい。
以前宝くじ売り場でも、店員の言った言葉がわからずに「うるさーいっ」と怒鳴っていた老人を見たことがあった。
よくよく聞いてみると、「たくさんくじを買ったのでそれを入れる袋がいりますか?」といった意味らしい。聞いていてこれはわからないな。無理だよ、と思った。
考える。マニュアルって速やかに人間を現場に送り込むためにあるんだよな。どんな場面でもそれなりに対応できるようにという目的か。
でも相手がどんなことを言ってもただ同じ言葉を繰り返すだけという場面を時々見る。そこがマニュアルの限界か。
やっぱり本来はちゃんと手間暇かけて訓練するべきなんだな。マニュアルに頼っていたら不具合が起きるのは当たり前だったんだ。なんだか詰め込み教育の問題にリンクしているような。どの現場でもかなりの無茶する必要があったということか。暇もないし手数も足りない。それを補うためのマニュアルやテキストだったのか。結構しんどい話だな。まるで戦争みたいだ。人間が足りないのにその人間を粗末に扱わなければいけないなんて。大戦末期?
なんだか偉そうなことを書いているな。関係者でもないのに延々と考えて、いったい何なんだ。
昔からそうだった。どうも私はそういう病気らしい。発作みたいなものだ。どういうことなのか納得いくまで考えてしまう。死ななきゃ治らないレベルのやつ。つまり?
バカは死ななきゃ治らない、っていうけれどバカを直そうとしてはいけなかったんだ。むしろそこを洗練させることが大事だった。自分のバカは自分だけのオリジナルなものだから外側の基準やテキストに合わせてはうまくいかない。そういうことだった。
個性っていうから何か立派なものでなければいけない気がしていたけれども、要するにそれはその人のバカさの傾向だった。そこをケアする。
この歳になってやっとわかった。もうぐったりだよ。これまで習ったことや努力はいったい何だったんだ。
他人を否定することや型にはめることの有害さ。その具体的な意味をやっと理解できた気がする。
むやみやたらと相手を肯定したり持ち上げるのもNGだった。相手が身動き取れなくなる。横着するな、ちゃんと相手がどういう人間なのか見ろ、っていう話だ。
生きて存在していることそのこと自体にいいも悪いもない、どう生きるかも関係がない。人間がとりわけ素晴らしいわけでもない。ただそうなっているだけだ。ただそうなっているところを生きる。
そんなことを考えた。あきらめて考え続けるしかない。