雨。
蒸し暑い。窓を開けてもちっともスッキリしない。
毎年思っていることかもしれないが
夏ってこんなにきびしかったっけ?
いや、夏ですらない。まだ梅雨だ。
コロナのワクチン接種は停滞気味。
いつになったら打てるのだろう。
上のほうが願望と事実をごちゃまぜにして話しているので
現場が混乱している、ということだろうか。
それともワクチンの奪い合い?が本当に厳しいのか。
思ったこと
この7月でブログ開設から1年が経ちました。
特に感想はないです(こらっ!)。というか必死で考える余裕がなかった。
一つ目の記事について:
題材はたぶん今週のお題を見て思いついたのだと思う。今週のお題へのリンクの仕方すらわからなかった。
昔の記事を読み返してみる。昔の記事のほうが題材が多彩で楽しい。アマゾンアソシエイトプログラムの申請をして、リンクを貼りまくっていたのもあってなんというか記事がカラフルだった。(アマゾンのは結局審査に落ちたので今はリンクを全部削除しました。そのままでもよかったのかな)
最近の記事は家族の問題について書くことが多く、重く暗い。ひどく個人的なことなので読んでくださいと大声で言えない感じがする。
でも家族の問題を繰り返し書き続けたおかげで問題への理解が進んだ、というか問題が腑に落ちてきました。同じ題材を変奏しながら書き続けることの効果を感じました。
ただ、”自分の””問題”にばかり集中してしまうと精神を病んでしまうので注意。昔好きだった作家はそれで薬をやって捕まったり自死した人もいる(ただの私の解釈です)。記事も重くなるし。
作家・・・。そういえば以前はあれだけ好きだった小説が読めなくなってきている。映画もそうだ。もう人間のドロドロや、他人の都合は受け入れる余裕がない。
アフィリエイトもそうだった。他者の都合が山のように詰まっている。そんなこと、とてもじゃないができそうもない。悲しい気づき。欲しいのは静かに考える環境だった。
脱線気味だけど自分の環境の風通しを少しでも良くしようとしてブログを始めたのかもしれない。
人間以外のものに目を向けたほうが煮え煮えにならないのか。でも、それってなんだろう。自然、モノ、そんなところか。
とりあえず考えたことのまとめ
これまで考えたことをまとめてみると(あくまで私の妄想です):
- 人間は基本的に自分のことしか考えない。しかも考えることもわりとしょーもないことばかり。だけどそこは否定してはいけない。尊重しながらの躾や訓練が必要。
- 問題の根底には躾があった。とてつもない悪人がいるというよりも子どものままの大人がトラブルを起こしている。その場合は明確な悪意というものがないので問題を把握しづらい。
- 子どものままだと説教や叱責が通じない。子育てからする必要があるのかもしれないが手間暇がものすごくかかるし、第一大人はそんなことしてほしいとは思わない。
- 人間がものすごく粗末に扱われている気がする。教育の重要性とかいう以前に、言うことを聞いてくれればいいや、搾取できればいいやといった感じ。手間を省くことで子どもみたいな大人が出来上がっている。それ以前に皆忙しすぎて教育どころではない。
- 根っこのところに人間に対する理解の浅さみたいなものがある気がする。
なんてことを思いました。おっさんとは思えないひどく上から目線の青臭い文章です。10年後くらいに読み返して頭を抱えるのだろうか。でもどこかで1回真剣にこういうことを考えておく必要がある気がします。それを怠ったツケが回って病むことになった。今はそう思います。
真剣に考えないのが原因か。そうかもしれない。真剣といったってクマのプーさんみたいに頭を抱えてうんうんいう必要はない。(アメリカはああいうのをすごく馬鹿にする。そこはとても気になる)
あとは考え始めたことにはちゃんとけりがつくまで考えきれ、ということです。とても時間がかかる。大人になるのには時間がかかる。
・・・いくら何でも上から過ぎるな。しかも他人事みたいだし。もっと自分のほうに引き付けてこれまでのことを考えると
- 休んだりサボったりするのに理由はいらない
サバイバー(なのか?)の自分の経験から言えることはこれだった。理由なんて考えているうちに倒れてしまう。その前に休め。逃げるなんて過激なことはなかなかできない。サボりのほうがまだハードルが低い。このバランス感覚。これが生きた知恵だ。
自分の幸せを考えつづけらればそんなに間違わない。ざっくりした感じだけれど、そういうことだろうか。でもそれにはとても精妙なコツがいるし、経験も必要だ。それを離さない握力も必要。本を読んでどうにかするわけにはいかない。
そんなことを思った1周年でした。
こんな感じですがこれからもよろしくお願いします