曇り。涼しく、はない。
猛暑日ではないというだけだ。
夢を見た
学校。また数学の授業。生徒が一人前へ出て黒板上で必死に計算をしている。
先生は髪の毛がボサボサの老人。「こりゃ、もっと計算の練習をしないとだめだ」と言う。
先生はなぜか左手に大きな柑橘類を持っている。ザボンとかタンカンとかそんな感じ。まだ青い。誰かにもらってそれを持て余しているらしい。もらって食べることにする。
味はどうだ、と先生に聞かれたので、大味なグレープフルーツみたいだ、とこたえる。(終わり)
目が覚める。夢に出てきた左手に柑橘類を持った先生を思い返してみて、子供のころに読んだ本に出てきた、片手に鳥の巣を持った苦行者という話を思い出す。在野の賢人。
今週のお題「サボる」
今回のお題で学生時代のことを思い出す。学生時代は学級委員をやっていたため、出席簿をつけていた。だから他人のサボりが嫌でも目に入る。
サボりといってもいろいろな種類があった。毎日当然のように遅刻してくるタイプ(徹底している。そういうリズムらしい) 突発的にとんでもない時間に来るタイプ(昼食時間にきて弁当だけ食べて帰ったやつもいた) 途中で抜け出してまた帰ってくるタイプ(なぜか酒臭かったりする)
当時はまわりの人間がなぜそんなことをするのか訳が分からなかったが、今は自分のペースやリズムを守り通せるのはうらやましいと思う。そういうことをすることで世間との折り合いを何とかつけようとしていたのだと解釈している。本人たちがどんな都合でやっていたのかは知らないけれど。
私はといえば真面目一辺倒でサボるなんて考えも及ばなかった。というか環境がめちゃくちゃでサボれる余裕がなかった。トラブルを起こしてもフォローしてくれる人間はいない。それどころかまわりをフォローしなければいけない。下手はできない。そういう環境で真面目になることで身を守っていたのだと思う。真面目にしがみついていた。学級委員になることだってそうだったのかもしれない。ポジションにしがみついて何とかやり過ごしていた。
そんな中で唯一サボれた、というか自分の時間が持てたのは朝の登校時だった。通勤ラッシュが嫌で学校まで1時間ほどかけて歩いていた。小さな山越えの田舎道。蛇の抜け殻が落ちていたりした。カラスやスズメバチの襲撃におびえながら歩いたこともあった。
夏は暑いし冬は寒い。いや、当たり前なんだけれど山の中で一人きりになることでそれを全身で感じることができた。
日本人特有なのかもしれないが”普通”とは違う毛色やノイズを出す人間には皆異常に敏感だ。それでそういうノイズを出す人間はいじめられる。私もそうだった。いじめられる側がいじめる側に簡単に変わってしまうのも厄介だ。それだけ普遍的な問題なのか。とにかくある種の地獄を見た。
そういう人間(動物?)としての性質があるのかもしれないが、それをいじめられるほうにも責任があるなどと言われるのはかなわない。悪いけどこれ以上は下がれない。余裕も(人的)資源も全くない。なかにはラッキーなことに折り合いがつけられた人間もいるのかもしれないが。
だからそういう人間は一人きりになれる場所をみつけるのがいい。他人の都合にスケジュールをがんじがらめにされてしまったら移動の手段を変えてそれを作り出したい。徒歩移動とかバイク通勤とか。
今回のお題でそんなことを思った。