曇り。久しぶりに雨が降った。
今日から9月だ。理由はわからないがネット回線の状況が突然改善した気がする。
スムーズにつながる。
8月の回線の不安定さはなんだったのだろう。私だけか。
思ったこと
今日は防災の日だ。家族と防災用の備品をチェックする。明らかに賞味期限が切れた食品がいくつか見つかる。
試しに一つ食べてみる。アルファ米にお湯を注ぐやつ。賞味期限は去年の11月。
バカだって? 私もそう思う。教育的には賞味期限の切れたものは絶対に食べてはいけないと言わなければならない。
だけど実際のところどうなのか興味があったんだ。ほら消費期限はダメだけれど賞味期限は切れてもしばらくは大丈夫だともいうし。災害の時には切れたものでも食べなければいけない状況もあるだろうし、そういうときのためのデータが取れたらいいなというのもあるし。・・・バカなのかもしれない。
で食べた結果。意外と大丈夫だった。味はまあまあ。おいしいとまではいかない。少しパサついていた。でもアルファ米ってこんな感じだったよ。
(少し身体がむず痒いんだが。気のせいか?)
当然こんなこと他人にはお勧めしません。というか災害でダメージを受けているときにお腹を壊さないかどうか心配しながら食べるのはよくないので常に新品にかえておくのがいいと思う。特に私みたいなアレルギー持ちは古い食べ物とかやばそうだし。
食べ物って大事だ。東日本大震災のときに精神的に弱っている状態で乾パンで何とかなるのは3日間だけだ、と何かで見た気がする。
今週のお題「サボる」
サボる。喫茶店でコーヒーそしてタバコ(昭和的発想?)
どちらも健康上の理由でやり玉に挙げられている。本当のところはどうなの?
そりゃ健康に良くない部分はあるのだろうけれど、飲んだり喫煙している暇があったら働け、というのが本音なのでは。
そうか効率化の犠牲になったのか、と勝手に妄想する。
そういえばコーヒーもタバコもどんどん効率化?されているよな。豆を挽くこともなくなったし、インスタントや出来合いのものを買ったりしている。タバコも自分でパイプに詰めたり紙で巻くこともなくなって、さらに今は電子タバコらしい。まあ、自分はタバコは吸わないので詳しいことは言えないけれども。
あれって自分で豆を挽いたり刻みタバコを詰めたりするところも含めてサボりの重要な部分だったのではと思う。むしろそこが肝だったのかもしれない。儀式というか様式美?
そこを効率化してしまったのでサボりとしての価値が落ちた? と勝手に考える。
サボりなんて難しく考えなくて、頭をリセットできるのがいいのだから変に理屈こねくり回すのもおかしい、という気もする。
喫煙休憩する人間は喫煙しない人にとっては不公平だというなら、平等になんちゃって喫煙休憩を与えたらいいと思うのは無責任だろうか。
こういうのは個々の人間の身体のリズムが違うから平等にというのは不可能だ。人間の身体は機械みたいプログラム通りに動くという訳にはいかない。だからサボりが必要なのか。
やっとわかった。システムと人間の心身のズレを埋めるためにサボりがあるんだ。人間は機械みたいに命令通りに動き続けることはできない。疲れるし飽きるし個々のリズムというものがあるし。人間味を取り戻すための行為がサボりなのかもしれない(本当か?)
おまけ:寝タバコで火事になるというニュースが時々ありますが、あれは市販の紙巻きタバコに含まれている燃焼を促進させるための成分が原因らしいです。その成分のせいでいったん火をつけると放っておいてもタバコは燃え続ける。パイプやキセルに詰める刻みタバコにはその成分が入っていないので常に息を入れていないとすぐに消えてしまいます。最近知った知識。