korenannan’s blog

関東地方某県に住んでいます。日々思ったことを書きます。時々放ったらかしにして期間が空くことがあります

いったい情報ってなんなのだろう

 久しぶりの晴れ。

 

 大量に洗濯物を干す。

 

 身体がふらつく。

 

 この歳になると加齢臭というものが確実に出てくる。

 

 洗濯をしていて思う。

 

 加齢臭はストレスを感じているサインでもあるようだ。経験してみてわかった。

 

 臭いってかなり動物的なサインだな。時々感じる獣としての自分。それは嫌悪感を伴うことが多い。

 

 

       夢を見た

 電車で移動している。父も一緒だ。かなりの長旅らしい。(終わり)

 

 目が覚める。父は団体行動が苦手で家族と一緒に出かけても勝手にどこかへ行ってしまう。そうなると私や母が探して回ることになる。おまけに父だけ携帯電話を持っていない。おれはそんなもの持ちたくない、とのこと。だから父と出かけるときにはかなりの緊張感を伴った。気を使わなければならないことが他にあるのになんであんたがさらに問題を増やすんだよ、と父に言いたい。

 

 

 

       思ったこと

 以前も書いたけれど季節の変わり目には体調を崩す。ここ1,2年でそれがさらにひどくなった。

 

 身体が弱ると感覚が鋭くなる。日の光にかなりの存在感を感じる。熱と光と触感・圧力。

 

 それで思った。ああ、これが情報なんだ。情報といえばなんとなく本やスマホのディスプレイなどの四角くて平べったいから得られるものとばかり思っていたがそんなことはなかった。

 

 むしろ日光などのほうが生きていくのに必要な情報だ。日が照って暑くなれば服を脱ぐし、風が吹いて寒くなれば着る。そんな感じ。

 

 こちらのほうが重要な情報なのにそれに対する感覚がすっかり弱っている。それで寒くても気づかずに風邪をひいたりする。”寒さ”のなかには消耗や疲れが含まれることもあるから単純に気温のことだけではないのか。

 

 

 日が昇って朝日が当たると嬉しい。ホッとする。若いころにはこんな感覚なかった。また学校に行かなければならないのか、くらいのことしか思わなかった。

 

 昔読んだ砂漠の洞窟で暮らす修道士の話を思い出す。(「砂漠の修道院」山形孝夫著 平凡社) 

 

 彼らは夜の闇が明けて朝日が昇ってくることの中にキリストの復活を見るのだそうだ。そうすることで毎日の生活の中でそれを追体験した。

 

 ああ、そういうことか、と少しわかった気がする。信仰もないので気がするだけだけど。

 

 

 若いころ、少しばかりいろいろな古代の思想(の入門書)を読んでみたけれど取り付く島がなかった。

 

 今は彼らはそれをある種の事実として生きていたのではないか、とおぼろげながらわかるようになった。そういう態度で臨まないと近づけなかった。それがどんな風景なのかは想像もつかないが。

 

 となると実生活の中でそれらに対するリアリティを感じて生きていたのだろうか。私がさっき感じた日光の話みたいに。それっていったいどんな世界なのだろう。

 

 (私が難しく考えすぎるのかもしれないが、ある思想や宗教の教えの中から現代を生きる我々にとって役に立つ部分だけをピックアップして利用する、というやりかたは変則的なものというか反則だと感じる。そのもの丸ごとを理解しにいかないと意味がない。これはかなり大変なことだ)

 

 

 そんなことを思った。

 

 

 

  今週のお題「爆発」

 昔のテレビドラマはよく爆発した。主に石原軍団が出てくるやつで。最近のドラマは爆発しない。当たり前か。ドラマなんてほとんど観ないので実際はどうなのかわからないが。朝の連ドラで爆発したりしないかな。

 

 なんだろう? 退屈しているのか。