korenannan’s blog

関東地方某県に住んでいます。日々思ったことを書きます。時々放ったらかしにして期間が空くことがあります

他人の意見を聞く(見る)のは色々と参考になる。共通点や自分の変わり具合

 雨模様。

 

 少し寒い。

 

 去年はこんなに極端な天候だったっけ、と考えてみるが思い出せない。

 

 体力が落ちているせいで余計に寒く感じるのかも。

 

 気候も変わるが、判断の基準となる自分自身も変化している。

 

 

     夢を見た

 自宅にいる。午前中で外は雨。

 

 いきなり玄関からおじいちゃんが入ってくる。

 

 おじいちゃんはベラベラとこちらに話しかけてくる。

 

 警備員の人らしい。私もその仕事に参加するようだ。

 

 ここの会社の仕事はずっとしていないのに何でいきなり、と疑問に思う。

 

 会社に携帯で連絡しようと思うがうまくいかない。(終わり)

 

 

 

     思ったこと

 目が覚める。訳が分からない。なんで連絡もなしにいきなり。どうしてうちを集合場所にするんだよ。そもそもシフト入れてないし。ところでおじいちゃん誰? 疑問だらけだ。

 

 こういう夢を見るときは疲れている。情報を入れすぎて整理できていない。数学のテストや学校の夢を見るときもそんな感じだ。

 

 

 また考える。うちの問題。本を読んだりオンラインの講演を聞いたり。宗教2世の問題。

 

 オンラインで出演者を見た感想:思っていたより普通の人だった。

 

 何だこの感想は。マスコミに向かって自分たちの問題について堂々と発言できる人たちって、何というかもっと”マッチョ”な人間だと勝手に想像していた。

 

 あと思ったこと。皆宗教の教義がどうか、などは割とどうでもよくて、それよりも自分自身の生活が一番の関心事ということだった。

 

 (一部の)宗教団体のせいで生活に支障が出ているから何とかしてくれ、という訴え。

 

 これはよく考えてみたら当たり前のことだった。私みたいに(自分の理解力の範囲で)突き詰めて考えるのは一部のマニアだけなのかもしれない。

 

 いや、自分も穏やかな生活が欲しい。考えるのはその穏やかさを手に入れるためでもある。頭の中でけりをつけるため。それだからマニアなのか。好みや人としての在りかたがマニアック。屈折している。素直に生活のほうにいかない。だけど屈折している人間は屈折しているやりかたでやらないとうまくいかない。

 

 

 それにしても、こういう問題を抱えている人間はかなり独特な世界を生きさせられている。自分もそうらしい。やっぱり異常のようだ。

 

 戦時中や明治時代くらいの社会。発言や行動の自由がない。常に監視者がいる。まるでディストピアもののSFの世界だ。

 

 あの記者会見をしている途中に信者である親から会見を中止するように言われた女性だってそうだ。

 

 弁士演説中止しろ。くらいの話。やっぱり明治時代だ。ふつうは不愉快に思っていても行動はしない。彼(彼女)の人生だから、と思いとどまる。

 

 

 それで、自分の高校時代のことを思い出す。学園祭の準備で少し遅くまで学校に残っていたときのこと。放送で呼び出しを受け、学校の事務室まで行く。事務室には自宅から電話がかかってきていた。うちで何かあったのか、と電話に出てみると母の声で「何をやっている。さっさと帰ってこい」とのこと。母の声はものすごい不機嫌だった。

 

 その当時はあまり何とも思わなかったが(何しろ色々と変なことが起きすぎていたうえ、自分の精神状態も悪かったので)、今考えてみると相当変なことなのかもしれない。呼び出されたという話は私以外に聞かないし。

 

 行動を徹底的に支配しようとする。こういうことをされ続けると、じわじわとダメージが心身にたまり続けて、ある瞬間に一気に崩壊する。それで生活が壊れ、その後ずっと病院に通うことになる。私はそうだった。

 

 

 彼らは思ったことを何でもやってしまう。いったん保留にして、これをやったらまわりにどんな影響が出るかなどを考えない。

 

 これでは動物と変わらないではないか。欲や怒りのままに動く。彼らは不安にかられてパニックになることも多い。自分の感情から距離が取れない。だからコントロールされてしまうのか。

 

 

 それにしても、似たような境遇にある人たちの話を聞いたり、たとえオンラインといえ姿を見るのがこんなに有益だと思わなかった。問題を別の角度から見ることができる。

 

 保留にする・距離をとる・別の角度から見る。頭の中の話なのに空間や時間を表現する言葉であらわされる。ここに何か肝があるのだろうか。これができるのが大人になるということ? 

 

 

 

 

 

 最近やや具合が悪いせいで、不安になる。そんな中で思う。

 

 一部のひどい団体は政治にまで介入しようとしている。介入が成功してしまったら政権が彼らのカラーに染まってしまうのだろうか。

 

 そうなると、警察や裁判所も彼らの意向に沿って動くことになる。第2次世界大戦中いつの間にか警察がナチスの道具になってしまったように。そうなった場合彼らに助けを求めても無駄になる。無駄になるどころか危険が増す。

 

 そんなことが起きませんように。

 

 

 というか、宗教が俗世間に介入してくるのはおかしいのでは。出家者だし。俗世間のしがらみから抜け出ていてフリーダムなんだから、そこは規制しないといけない。

 

 出家した人間はフリーダムになってしまって危険だから、慈悲や親切、羞恥心などで自分自身を縛らないといけないのではないか。そうしないと他人に対してやりたい放題やり始める。他人をポイント稼ぎや自己実現のためのゲームの駒として粗末に扱いだす。

 

 それが宗教が慈悲や慈善などを一所懸命説く理由の一つなのではないか。そんな気がする。

 

 団体は法律や人権で規制して、個人は慈悲や羞恥心などでセルフコントロールさせる。それは個人の自己実現などとは関係がない。フリーダムになった人間とこの世界で共存するための知恵。

 

 フリーダムになったやつらの自己実現とか危険でしかない。だから俗世間と折り合いをつけるために工夫がいる。