晴れ。
5月だ。それなりに爽やか。
それなり、がどこから来るのかわからなけれど。コロナ生活のせいか、極端な気候のせいか、加齢や健康上の問題か。
この季節だからか、鬱気味だ。起きるのも家事をやるのも食事や風呂ですら面倒だ。
でも爽やかなのはとてもいい。それなりにしか感じられなくなってしまった、うすらぼんやりした感覚だけれども、それを全身で感じる。
夢を見た
(その1)大きな部屋にいる。目の前の廊下を子どもたちが走っていく。
目の前には長い毛並みの大きな猫がいる。猫に舌でなめられる。
猫の舌の感触を感じながら、猫がなめてくるなんて珍しいと思う。
猫を見つけて子どもがよってくる。 (終わり)
(その2)電車に乗っている。両親も一緒のようだが姿は見えない。
乗り換えのために歩く。小さな駅に着く。
構内に入る。1両だけの小さな電車が停まっている。都電かバスのよう。
ホームには乗車待ちの人間がたくさんいて、ドアが開くと車内になだれ込んでいく。
私も入る。車内は意外とすいている。次々と電車が来るため、わざわざ混んでいる目の前の車両に乗る必要はないためらしい。
車両の外にはあきらめて去る女性の姿。それを見た男子学生が、席空いているって、と言う。
体育会系の部活動をやっているのだろうか、学生は大きなカバンを持っている。
学校に着く。新年度だ。あれ、おれ4年生だったっけ? それとも院に進んだんだっけ?
まわりの知り合いは4年生なのか、それとも就職していなくなってしまったのか。訳がわからない。 (終わり)
思ったこと
目が覚める。相変わらず彷徨っている。
何故だかわからないが、やっと義務教育が終わった気がする。夢の中の実感だけれども。
数学? わからないもんはわからない。
父と話す。父は都内の高校に通っていたので放課後あちこちに遊びに行っていたそうだ。
小学校から大学まで田舎だった自分には想像もつかない。まわりにあったものは山や畑ばかりだ。
いたものは狸やカラス、スズメバチ、あとは観光客やハイキングに来ている人間にたまに会うくらいだった。
勉強といえば学校でするものと思っていたが、生活の中で会うそれらのもののほうがずっと重要なのでは、と最近思うようになった。
だとすれば、東京という経験はものすごい教育なのでは?
東京の人間と話していても経験の差がすごいと思う。ディスプレイの向こう側の話を現実に体験している。
これって昭和の人間の実感なのかな。今は海外に出ていっている人間も多いし。当然のように留学の話をされる。
などと田舎者が思ってみた。東京での生活ってすげえんだろうなあ、なんて。