korenannan’s blog

関東地方某県に住んでいます。日々思ったことを書きます。時々放ったらかしにして期間が空くことがあります

他人の死で自分の死を思う

 曇り。今週はこんな感じらしい。

 

 今週の季節は梅雨か。

 

 猛暑、台風、そして梅雨。週替わり。

 

 

 

       夢を見た

 教室にいる。久しぶりにテストの夢だ。

 

 答案が返却される。まわりにいる女子が先だ。

 

 まわりの女子たちは私より頭がよさそうだが、返ってきた答案を見るとほとんど正解がない。30~40点というところか。女子は興味なさそうに答案を机の上に放り投げる。

 

 となると、私はさらに点が悪そう。答案を見る。

 

 点が悪いどころか白紙だ。私だけ解答用紙がカレンダーの裏みたいな材質。

 

 よく見るとうっすらと何か書いてある。消しゴムで消した後だろうか。訳が分からない。(終わり)

 

 

 

 

       思ったこと

 目が覚める。テストの夢を見るときにはだいぶん疲れやダメージがたまっている。

 

 

 今日は通院日だ。病院に行く。コロナがまた広まりだしたが、そんなこと関係ないかのようにどこも人だらけ。皆慣れたのか。

 

 もう花粉症レベルのイベントになってしまった? そんな風か。まだ違うと思うけど。

 

 

 最近あれこれ事件がありすぎて、メンタルをやられている人が多い。

 

 病院の待合室では「遊戯王」の作者が亡くなったことを話している人がいた。

 

 私は遊戯王は全く知らないけれど、これだけショックを受けている人がいるということはすごい作品だったのだろう。

 

 累計何百万部売れたとか、数字を言われてもピンと来ないけれど、こういうものを見るととてもよくわかる。

 

 最近著名人がよく亡くなる。自分が気になった人は、西村賢太氏と青山真治監督だ。どちらも早すぎる。

 

 

 自分の番が来たので診察室に入る。最近の調子を聞かれる。あまり良くないとこたえる。

 

 例の事件のニュースのせいでだいぶんダメージを受けている。

 

 

 元総理をターゲットにして、銃器を作り、行動に移すような人間の心の中の必然性って何だろう。あまりに世間離れしている。”普通”は考えないし、考えてもやらない。

 

 でもそこに何か意味があるのではないか。

 

 一部の報道の通りだったら、民主主義がどうこうとかまったく関係がなさそうだ。荒れた家庭環境と宗教が原因なのか。この2つのおかげで、世間離れした発想を生きる習慣づけをされているように思う。

 

 ある意味人工的にタガが外されている。現実世界の手触りにそれほどの重みがなくなっている? 現実世界のフィードバックが効いていない?

 

 そのことが思いこみを強化させ、事件を実行することを容易にさせたのではないか。勝手にそう思う。

 

 

 この容疑者とは全く違う宗教団体だが、問題のある家庭で育ち宗教に環境をめちゃくちゃにされた自分はそんなことを感じた。

 

 

 それにしても自分が悪者になる以外にやり方があるだろうと思う。

 

 これは問題を遠目から見ることができる人間だから言うことができることだ。問題に巻き込まれていたらそれどころではない。目の前しか見えない。

 

 

 そうだけど、何か事件を起こして、もめ事の相手に、ほーら、あいつはやっぱりあんなやつだったんだよ、なんて言われたらむかつくじゃん。おおもとのトラブルもうやむやにされる可能性が高いし。

 

 それに辛抱強く細かくトラブルを見ていけば、わかりやすい理由や犯人なんていないことがわかるし。

 

 

 元総理が撃たれた事件なのにこんなに軽い感想でいいのかはわからないけれど。

 

 でも思いつめてしまった人間には、世間的な常識や、馬鹿なことはするな、などのレベルではどうしようもない。

 

 高度で専門的なケアがないと宗教がらみとかそのレベルのトラブルは解決できないと思う。

 

 自分が絶対に正しいと言い張る人(たち)に言葉が通じたら奇跡だと思う。これまでの経験でそう思った。

 

 

 

 

 

 病院を出てお気に入りの本屋に行く。中原中也の詩集を買う。

 

 ”春日狂想”という題の詩を読む。これは作者の長男が亡くなった時の詩らしい。

 

    1

 

 愛するものが死んだ時には、

 自殺しなけあなりません。

 

 愛するものが死んだ時には、

 それより他に、方法がない。

 

 けれどもそれでも、業(?)が深くて、

 なほもながらふことともなったら、

 

 奉仕の気持に、なることなんです。

 奉仕の気持に、なることなんです。

 

 (後略)

中原中也全詩集」(中原中也著 角川文庫)より引用。(256ページ)

 

 なんだかしみた。亡くなった姉のことを思い出した。あの時も宗教が絡んできて大変だった。そのことに対して何もできなかった。

 

 様々なカウンセラーにかかってやっとわかってきた。大事な家族をめちゃくちゃにされたら、もうそいつは死んだのだ。そしてそれはどうやっても元に戻らない。

 

 空っぽの人生を生きることになる。それをこの詩は見事に表している。

 

 

 

 そんなことを思って泣きそうになった。もう今日はめちゃくちゃだ。

 

 何とかうちに帰って洗濯物をしまった。