朝から過酷な暑さ。
寝たはずなのにぐったりする。
こういうのは8月に入り夏も後半になってから出るものだったが今年は早い。
そう言えばトイレ以外にも水分補給のために夜中に起きていた。そりゃ寝不足にもなる。
最近改めてゲームの文化はいいな、としみじみ思う。
昔から好きだったが、心のどこかで(でもゲームだろ)と思う気持ちがあった。
昔大人になっても漫画を読むのはどうなのか、という批判があったけどそれに近い気持ち。
今はそんな批判はない。
思い出す。小学生だった頃、文集にプラモデルを作ったことを書いた友達がいて、それをかなり馬鹿にしたことがあった。
(今思い出すと私は本当に嫌な子どもだった)
でも今の自分ってそれに近いな。いい歳したおっさんがゲーム大好きと言う。
"人間は自分が馬鹿にしたものに似てくる"
自分の経験則だ。多分同じ次元にいたり好みが似ているので視界に入りやすい、ということだと思う。
ということは、当時の私は自分(の好み)が大嫌いだったのだろうか。
何でそんな捻くれた子どもになったのか。思い当たることがありすぎる。これまでも散々書いた。
これまで起きたことをずっとまとめている。それを終活なんて言う人もいる。学生時代に読んだカルロス・カスタネダの本ではそれを"記憶の総括"というふうに言ってたか。
これまでの人生とは全く違う新しいことをする時にそうすることで死ななくて済む。みたいなことが詩的な表現で書かれていた(はず。記憶が曖昧だ)
今はもうああ言った本を熱心に読むことはない。
読書といえば、最近は暑さもあってほとんど本が読めない。かわりにネットで映画を観ている。「シャイニング」を観る。少しずつ観る。
この映画の印象的なポスターを見て何故か父を思い出す。まわりに強烈な人しかない。そういう記憶。