晴れ。また寒くなってきた。
夢を見た
結構古めのアパートにいる。自宅らしい。中に入る。そこへ昔の知り合いや知らない人達が大挙して入ってくる。勝手にシャワーを使われたり買い物帰りの子連れ主婦に休憩場所として使われたりもう大混乱だ。一人の女性にフレンドリーに話しかけられる。イバラキ出身だという。何が何だかわからない。皆で出かけることになる。アパートの入り口にボタンがあり、押す。バスを止めるためのボタンらしい。(終わり)
目を覚ます。こんなににぎやかな夢を見たのは生まれて初めてだ。
思ったこと
今コロナで出かけることができない。細かく見ると喫茶店で読書ができない、図書館に行けない、ちょっとお店をのぞいてみる、などなどこれまで何となくやっていたことをすることができない。その他の意識できない細かな何となくができなくなっている。それが結構な量あった。当たり前のことなんて意識されることはないし。
そうなると想像以上に戸惑うしストレスになる。
結構な鬱になり昨日はぼーっと動画を観ていた。生ける屍なんて言葉が浮かぶ。「何も感じなくなってしまえば楽なのに」と昔母がよく言っていた。唐突にそのことを思い出す。
最近よく昔のことを思い出すけれどまわりにいた人間のことばかりだ。私はその時どこにいたのだろう。これが乖離か。
酒や宗教やゲームなどにのめりこんでしまうと楽になるが、そこで変化が止まりそのままどんどん歳だけ取ってしまう。自分も含めてまわりにはそういった見本がたくさんあった。他のことにも気を使わなければいけない。
のめりこんではダメだ。と以前は思っていたが、そうでもしなければとてもじゃないがやってられない、ということもあることに気づいた。半ばぶっ壊れながらも何とかやっていけているのは素晴らしい・偉い。そういうことだ。それに気づけて随分と楽になった。
閑話休題。今見ている実況動画のゲームは素晴らしい。文学を感じる。
「サイバーパンク2077」
(今このゲームの製作会社はトラブルを抱えていて販売がどうなっているのかわからない。現実世界もゲームみたいになっている。金儲けのために何でも訴えるのはやめてくれ。コンテンツをつぶさないでくれ)
90年代のテレビに出ていたアメリカのミュージシャンが、「お前がどんなに貧乏か知らないが、今聴くべき音楽はこれだ」とCDの宣伝をしていたがそんな感じだ。”やりたい”ではなく、”やるべき”ゲーム。久しぶりにそういうものに出会った。このゲームができる環境はないけれど。
CD・豪快な物言いをするミュージシャン(ロックな感じ。アーティストか?)・やるべき、古くなってしまった言葉? そういえばこのゲームのサイバーパンクというジャンルも日本が好景気でブイブイ言わせていた(死語)ころ成立したものか。前世紀の記憶?
動画を観ながらそんなことを考えた。結論はない。
今週のお題的には私が若かった当時、一部の大人に長髪髭面のイメージがあったな。このゲームでもキアヌ・リーブスがそういう役どころだ。荒くれ者のイメージ。ハードロックやアメリカ的なもの? もちろんこれは一つの極端な例だけれど。荒くれ者たちはその後どうなったのだろう。下手すればもうお爺さんか。これも大人の一つの例だった。こんなこと想像もしなかった。”大人”の振れ幅って思ったよりも大きそうだ。
:今週のお題「大人になったなと感じるとき」