雨。今日は相当寒い。
ついにそういう季節になった。
買い出しに行く。電車に乗る。
9時過ぎだが制服を着た女子が乗っている。何だかとてもダルそうだ。
少し前までは遅刻する学生に対しては厳しい目を向けていた。
はるか昔の学生時代にも「おはよー」「授業出る」「ううん出ない」なんて会話を聞くと、
「こっちは朝から晩まで演習・実験なのによ」と◯意がわいた。
それはそういう学科を選んだ自分が悪いんだけど。・・・いや悪くないな。誰も悪くない。断罪は悪いことをしたときだけで十分。
それから何十年も経った今は、「本当にダルいんだろうな。大変だなあ」と思う。
こういうことは自分が過酷な環境にあるうちは無理だった。
駅で降りて歩く。スーパーで買い物。ボージョレヌーボーが出ている。ハーフボトルがないか探すがない。500mlのはあった。最近は多いサイズ。1合とか1升とかもそうだがそういう単位は駆逐されつつあるのだろうか。
父に年賀状ソフトを頼まれていた。私は信仰上の理由で年賀状は出さない。今は冗談でそう言うけれど、昔は本当にそうだった。宗教2世なので誕生日・年賀状・初詣などはダメだった。
それに出せたとしても書くことないし。NGの話題しかない。住んでいる世界が違いすぎる。
買い物を済ませ、久しぶりに古本屋に行く。まいった。勘が鈍っている。電子書籍ばかり読んでいたら目が変わってしまった。書架を見てもちっともピンと来ない。少し寂しい。
意地になって買う。買ったのは
歩きながら考える。このセレクションのテーマは何だろう。
"戦後のにおい"という言葉が浮かんだ。何だこれ。何故日本人の話でないんだろう。
理由はわからない。でも日本人の話だと生々しすぎるというか"身内フィルター"(何だそりゃ)がかかってしまう気がする。
映画もそうだ。戦後のヤクザ映画とか演出が強すぎて内容が入ってこない。映画はヤクザものだけじゃないけれど。
海外の「シクロ」(トラン・アン・ユン監督)とかのほうが、スッと入ってくる。戦争が起きたのが彼らの方がずっと最近だからだろうか。
などなどとりとめのないことを大量に考えた。
今宗教2世である自分は、起こったことの記憶を掘り起こして整理している。
いつか書けるだろうか。
笑って、は無理だ。楽しい話ではないし。
そういうことをするのは大変にしんどい。そういう場合にはこういう細々としたことを一生懸命やるのが大事だ。
散歩するとか。喫茶店に入るとか。お酒を飲むとか。
そうすると落ち着いて作業を続けられる。
選んだ本って自分の境遇と関係あるのだろうか。誰か何かに故郷を奪われること。異邦人になること。