曇ったり晴れたり。静かな日。
花粉が飛び始めるまでは一年のうちで唯一の?安らかな時間。
思ったこと
昨日の続き。
自分は静かに暮らしたい。高度な家電を使いこなしたりバリバリ活動したりしたいわけではなかった。
でもよく考えてみたら静かに暮らしたいというのは実現しようとするとかなりの困難があるようだ。
まず世の中の普通を疑わなくてはいけない。それは大変なことだしやや罪悪感がある。
一生懸命働く。そこから自分は脱落してしまった。それをやろうとすると体調を壊してしまう。みな当たり前だと思っているのでそれ以外の答えなんて聞いても答えてくれない。病院のデイケアですらそうだった。
一生懸命勉強して一生懸命働く。自分はそう習ってきた。そういう教育だった。これは洗脳だという人もいる。それなりにうまくいっているシステム。
問題はそれしか選択肢がなかったことか。選択肢というかそれ以外の考え方を知らない。それしかないということはそこから外れたらノーカウントになってしまう。
自分自身を自分で再教育しなければならないのか。自身の罪悪感は世間的な教育がうまくいった印でもある。それとも折り合いをつけなければならない。
他人の都合を一生懸命聞いていて足元がお留守になっていた。自分の中に他人の都合しかなく自身のケアができてなかった。そういうことらしい。
一生懸命やったおかげで修羅場になった。自分もそうだったし自分のまわりもそのサンプルであふれていた。おかしいことをおかしいと思えるようになるのですら大変なことだった。それにはかなりの犠牲が必要とされた。常識はそこまで強い。
世間と折り合いをつけながら引っ込む。いったいどういう努力なんだ。世の中にすでにあるアイデアから自分の生き方を組み立てる。そういう努力。
・・・あれ? それこそ学校でやっておくべきことだったのでは。皮肉な話だ。なんなんだよもう。がっかりだ。