本日2投稿目。
本来はこっちを書こうと思っていた。
外を歩いていて唐突に小学生のころピアノを習っていたことを思い出した。
どのレベルまでいったのかって? ただ石のようにピアノの椅子に座っていただけだから、まったく弾けないよ。
当たり前だけどそういうパフォーマンスではない。現代音楽じゃないし。
自分はピアノを習いたいとは思っていなかったが、母が習わせたがって勝手に先生に申し込んだ。母は言い出したら聞かない。そして私はそういう曲がったことが大嫌い。
ただ、子どもながらに母親の精神状態がおかしいのはなんとなくわかっていたので、あまり刺激したくなかった。暴力も振るわれていたし。
なので素直に行った。だがピアノは弾きたくない。
他にもたくさんの要素があり、いろんなものにがんじがらめになった結果、ピアノの椅子の上に前線が形成された。戦闘は膠着状態だ。
自宅を戦場にされた先生はたまったもんじゃなかっただろうな、と今は思う。先生は音大の学生だった。
それらのことを今思い出して感じることは、"酷い"ではなくて、うわあ、カッコ悪い、ということだ。
本当にしょーもないことをしていた。
今でもピアノを見たりクラシックの音楽を聴いたりすると頭痛や吐き気が起きることがある。罪悪感みたいなものも感じる。
「時計じかけのオレンジ」という映画を思い出す。本当にルドヴィコ療法みたいだ。
だけどカッコ悪いのは確かだけれども、自身のケアが何よりも大事だ、と今は思う。
見てくれも大事だけれども、人生は見てくれのいい面白コンテンツじゃねーよ、とも思う。(自分にすら噛みつくのかオレは)
で、今は楽器習いたいとかあるの? いや、大きな音の出るもの苦手。・・・本当にダメじゃん。
あの当時も、本心としては様々な問題から逃れて、どこかでこっそり休んでいたかったのに、わざわざ大きな音を出して自身の存在や居場所を知らせたり、周囲を刺激するなんてナンセンスだと思っていたのではないか。
当時の自分の気持ちを推し量るとそういうことだったと思う。
あと、楽器だけでなく運動を伴うものはまったくダメということもあるか。
楽器でもダンスでも競技でも協調やタイミングなど、時間や他者の存在が絡んでくるものが苦手だと気づいた。
私は読書が好きだが、それは自分のペースで止まったり戻ったりできるのがよかったのだと思う。それに気づく。
本当にすがすがしいレベルでカッコ悪いな。そう言いきれるようになってずいぶんと楽になった。(たぶん)