korenannan’s blog

関東地方某県に住んでいます。日々思ったことを書きます。時々放ったらかしにして期間が空くことがあります

夢に逆切れする。そして気づく

 晴れ。もうすっかり春の陽気だ。

 

 まだ2月なのに。

 

 今日は猫の日らしい。

 

 

 

       夢を見た

 また学校の夢だ。以前やったテストの答案を返されている。理系の科目。答案を見てみるとひどいありさまだ。ほぼ0点といっていい。適当に答えたのが偶然にかすって点を取れているのもある。

 

 先生にあんたの解答はここがおかしいと言われる。だがそもそものところがわからないから、指摘されてもどうしようもない。

 

 今日の夢は長い。この調子で延々と続く。午後もあった。これがあと1学期続くのかと思いうんざりする。(終わり)

 

 

       思ったこと

 目が覚める。本当にうんざりだ。なんなんだよこれは。これを答えられたからって何だっていうんだよ、と逆切れする。

 

 もっとやりかたがあるだろう。数式をダラダラと教えるのではなくてさ。この数式が出てきた訳は何なのか、いつ頃、だれが見つけたのか、とか人間の営みが見えてこない。

 

 そもそも数式がはじめにあったのではなくて、大量の実験・観察データを眺めていたらある法則性が見つかって、それをなんとか式の形に表した、というのが本来の在り方なのではないのか。よく知らないけれど。

 

 現象の説明のために高度な考え方や数式がひねり出されてきたのではないのか。(その先の超高度な数学マニアの話は知らない)

 

 その道筋を取っ払っていきなり数式だけを教えられても困る。ほかの皆はよくこれで理解できたな。私が数学苦手だというのはあるけれど。

 

 

 考えてみたらこの法則性に気づいた人って延々と(今日は延々が多いな)観察し続けたのだな。天体の観察なんて数年数十年数百年のレベルだ。

 

 そんなに長期間望遠鏡をのぞき続けたなんて考えただけでクラクラする。いったいどんな人間なんだ、と根気のない自分は思う。

 

 もっとも理由もなくのぞき続けたのではなく、農業や宗教などの要請があったのだとは思うが。

 

 

 この法則性って理由はわからないけれども観察してみたらそうだったのだからそれ以上四の五の言っても仕方ないじゃん、といったものだな。

 

 私の性格的にはそういうのはものすごく気持ちが悪い。・・・理系向いてないな。

 

 

 数式には昔の高度な文明を築いてきた考え方やマニアックな天才や社会の要請やらそういったものが山のように詰まっている。

 

 そういったものを何の準備も覚悟もなく向き合わせるってどういうことだよ。その過程をちゃんと教えろよ、中途半端な気持ちでそういった高度な文明の遺産?に対峙したら「呪われて」おかしくなって当たり前じゃないか、と思った。異端の考え方だと思うけど。

 

 また変なこと言っているな。ナウシカか何かか。

 

 

 自分の場合はそういった法則性でなくてもっと世界を直接感じるというかとらえたい気持ちがする。また抽象的なことを。やっぱり理系ではないな。

 

 

 

 そういえば昔進路を決めるときに、哲学や文学、美術などのほうに進みたい気持ちがあった。(そっち方面の才能はあまりなかった)

 

 だがそんな何かの役に立つのかわからないもの勉強してどうするんだよ、と自分で思った。それで理系にいった。結果壊れた。

 

 そういうのよくなかったのだな。セルフ毒親システムかよ、まったく。そちらはちゃんと親から継承していたようだ。何かを決定するときに自分の意向を無視するという考え方。これも教育の成果だ。

 

 意図的に教えられたものというよりは、日々の言動の中で世の中というのはこれこれこういうものだ、という感じで教えられていた。それはとても強力なものだった。

 

 自分はそういうのには気づいているから大丈夫だ、と思っていた。親は暴力とともにいろいろなことを教え込んできた。ある意味とても分かりやすい悪だった。

 

 だから私はその有害性には気づいていて対処できていると思っていた。だがこの考え方はもっと深いところに巣くっていたようだ。

 

 

 

 進路を決めるのにはこのくらい深く考えなければならなかったのかな。自分が素直だったらそこまでいく必要はなかっただろうと思う。あくまで推測だけれども。

 

 やっとあるレベルまでこれた。そんな気がする。