曇り。また気温が下がった。
最近は天候だけでなく起きていることが極端で強烈な気がする。
出来事の味付けが濃いめだ。
夢を見た
田舎の山の上のほうの建物の中にいる。公民館のような建物。そこでセラピーを受けている。セラピストの姿は見えない。
そこへ母と母の入信している宗教団体の信者がドカドカと入ってくる。そして自分たちの活動の相談を始める。母方の祖母もいた。
私はブチ切れてあれこれ言う。あまり伝わっていないようだ。
外に出て山を下る。自宅に戻る。そこにも信者が入ってきて勝手に人のうちの倉庫のセキュリティナンバーをメモろうとするので怒る。
これは警察に言わなければだめだと思い、相手に警告するがまったくきいていない。やれるものならやってみろといった感じだ。
外に出て警察署に向かう。信者も出てくる。古い町並みの狭い路地を歩いていく。犬のリードを外して散歩させている人がいる。犬が信者に寄っていく。信者は走って逃げた。犬は秋田犬だった。
自分も犬は怖いので塀の上を歩く。今度はシェパードがやってくる。途中に引き戸があり通路がさえぎられていたので塀から降りて歩く。
今度は2匹のゴールデンレトリバーがくる。片方がもう片方のリードをくわえて走っていった。飼い主の男性が、あーあと声を出していた。
しばらく行くと温泉街に出た。送迎のバスに入れ墨を入れた男性が二人乗っていた。
海岸に出る。砂浜は観光客でごったがえしている。海岸の道をダッシュする。途中でこんなに遠くに行かないと警察署はないのか? と疑問に思う。一本陸側の通りに入る。
狭い通りだが交通量が多い。子供たちが道で遊んでいて危ない。そこに車が突っ込んでいく。
大柄な男性が体当たりして車を止める。男性はクスリをやって捕まった某芸能人に似ていた。
やっと交番を見つける。だが中は空だ。警官はさっきの現場に行ったようだ。
中に入ってみると交番ではなくアトリエで、画家の男性が昼寝をしていた。隣に行けと言われる。
隣に行くと芸術作品になってしまった女子たちがいたので話す。彼女らの髪の毛は青いガラス製だった。そこへさっきの男性が来る。
男性と女の子があまりに似ていたので、兄妹かと思ったと私は言う。
外に出る。昔有名だったフランス人の女性がいた。酔っぱらっているのか白バイからガソリンを取り出して飲んでいる。私は呆れる。(終わり)
思ったこと
目が覚める。まだ夜中だ。消耗とエネルギーの流れを感じる。夢は過去のつらい記憶のコアの部分にかなり無遠慮に触れてきた。
後半のグダグダはなんなんだ。シリアスになりすぎるのを避けるために無意識に茶化したのか。
つらい物事に触れるのには真正面からいっては潰れてしまう。あえて茶化すなりして相対化したり距離をとる必要があるのかもしれない。
真面目にやれ、なんて昔の私だったら怒ったかもしれない。だけれどもこういう突っ込んでいって「ギリギリでかわす技術」みたいなものも必要なのではないか、と夢を思い出しながら思った。あえてふざける。よくわからない。
本の中や学校、病院などのどこか別の場所に私の正解があるのではないかと思ってずっと探してきたがどうやらそういうことではないらしい。
個人の”本当”や”真理”というのは個人の中にしかないようだ。それは発見してみないと真理かどうかわからないらしい。そういうものに普遍性もマニュアルもエビデンスもへったくれもないのかもしれない。そううっすらと思い始めた。
そういう場面では学校的な真面目は役に立たない。探検か宝探しみたいだ。
それにしてもなぜフランス人? フランスにはまじめさと軽さが同居しているという勝手なイメージがある。
学問の世界共通言語は英語だが哲学の分野だけはなぜかフランス語が強い、と本で読んだことがある。何か関係があるのか。英語はまじめすぎるのか。
そんなことを考えた。頭の中でシルヴィ・バルタンが流れていた。(シルヴィアではなかった。今はじめて知った)
今思い出したけれど、夢の中で出てきた大柄の男性の芸名はピエールではなかったか。ええ!? そんなふざけた理由でフランスかよ。
夢には真面目もおふざけもないらしい。そういった真面目さ。
追記:この記事を書いてから、2年後くらい経った2023年の正月にこのブログを読み返してみた。不真面目、フランス人。これはラブレーのことではないだろうか。そんな気がした。