korenannan’s blog

関東地方某県に住んでいます。日々思ったことを書きます。時々放ったらかしにして期間が空くことがあります

当たり前にダメなことは当たり前に失敗する

 雨。風も強い。

 

 

       思ったこと

 今日は学校の夢は見なかった。夢の中の学校は休みらしい。

 

 

 思い出す。わかったこと。セラピーや健康法は一生懸命やってはいけないようだ。セラピストの先生もそう言っていた。セラピストの先生はそれを一生懸命走りすぎて一周して元の場所に戻ってきてしまう、と表現していた。私は上を目指して力むあまり床を踏み抜いて落ちてしまうと言う。

 

 身体に定着するまで待つ。理解するまで待つ。むやみに先に進もうとしない。慎重にやる。

 

 そういえば学校のカリキュラムにはこれがまったくなかった。とにかくやらなければいけないことを年度内に終わらせようと爆走していた。こっちの都合などまったくお構いなしだ。先生も必死だった。

 

 それでよく皆は問題なく進めたなと思う。だけど私みたいに問題があっても自覚できずに表面上はうまくいっているように見える人もいる。最近不登校などの問題が表面化したのはこれまで無視されていたものに焦点を合わせるようになったせいもあるのではないか、と思う。

 

 学校のカリキュラムなど相手の都合に合わせられる人間なんてそんなに多くない。子供ならなおさらだ。

 

 自分がデイケアでうまくいかなかったのは、デイケアが学校のルールの延長上にあったからではないか。施設のルールにメンバーが合わせる。膨大な量のカリキュラムに従う。私もそれが当たり前だと思っていたし、あちらもその学校的なルールをそのまま使っていた。(もしかしたら何らかのノルマがあったのかもしれない)

 

 少ないスタッフで大量の人間を管理する必要。あれはそのための無茶だったのかもしれない。

 

 それではうまくいくはずないではないか、と今は思う。なんで今までそのことに気づかなかったのだろう。

 

 他人の都合に合わせる習慣。いくら一生懸命やっても自分は他人にはなれない。だから積みあがらない。失敗する。そういうことなのか。

 

 いくらなんでも素朴すぎやしないか? 自分は愚直なのかもしれない。