曇り。肌寒い。
花粉症がかなり進む。
薬を飲んでも鼻水が出る。
夢を見た
都市部の埋め立て地にいる。観光?なのか男性のガイドと一緒だ。
あたりはゴミやつぶれた建物だらけで本当に汚い。
ガイドは昔この辺りに野球場を作る計画があったという。
本当か? 今は人が住めそうな雰囲気すらない。(終わり)
思ったこと
目を覚ます。夜中だ。これ以外にもものすごく個人的な夢をたくさん見る。
うんざりする。夢の中の自分は本当に小賢しかった。
なぜだろう。
子供時代にはちゃんと子供をする。そんな考えが浮かんだ。
それが子供の仕事、いや仕事じゃないな。それを生きる。
子供時代に変に大人ぶる。それにはそれなりの理由というものがあるのだけれど(強制的に大人の仕事の一部を引き受けなければならなくなったり)
それをしてしまうと中途半端な人間ができあがってしまう。自戒とともに思う。それがさっきの夢の小賢しい嫌な感じか。
子供のやることってなんだろう。学校や習い事も大事だと思うけれどそれは社会のシステムに巻き込まれてやっていることで本当に仕事だと思う。どちらかというと向こう側の都合だ。
その前にしなければいけないことがあったのでは。そんなに急いで巻き込まれることないのでは。
どうでもいいことをしゃべりながらダラダラ歩くとか、そんな感じのこと。直接何かの役に立つことではないが、あとから効いてくる。
自分自身の時間。自分自身のためだけに使う時間? そんな感じのものか。うまく言えないけどそんなやつ。自分へのギフト。なんだそれ。
自分は真面目だったし家庭内の事情もあってうちの手伝いをしたりしてあまり余裕がなかった。周りの人間はそれに比べると本当にのびのびと遊んでいた。
周りの人間のしていることってどうなのよ、とやや斜に構えてそれを見ていたが、ある時期からその「余裕ぶっこいて遊んでいた」人間がメキメキと伸びていき、立派な大人になっていった。こちらはどんどん具合が悪くなっていき気づいたら何もできない嫌なやつになっていた。
余裕がある・遊ぶ、が成長の種だったのだな、と今は思う。種というか養分か。遊ぶことで伸びしろができる。悔しいけれどそれに気づいた。
児童労働がよくないというのはこういうところにあったのか。小さいころから働いているのに皮肉なことに貧困に向かって一直線に進むことになる。
そんなことなのでは、と考えた。あっているのかどうかはわからない。