晴れ。久しぶりにいい天気。
冬物をまとめて洗濯する。
花粉さえ終わってくれれば外に干せるのだが。
夢を見た
裏路地を歩いている。ここはマラソンコースになるらしい。
なぜこんな狭い場所を? 住民の人が植木鉢を出していそうな生活感のある路地。
大量のランナーが走っている。その中の一人が前のランナーを引っ張る。それがセーフかアウトか協議されている。
そもそもマラソンでタックルってOKだったっけ? まるで走る格闘技だ。
移動する。大きな通りに出る。横断歩道を渡る。バイクが突っ込んでくる。
食事をとろうと思う。通りを歩けばコンビニやチェーン店もあるが駅まで戻ることにする。(終わり)
思ったこと
目が覚める。今日も学校の夢じゃなかった。よかった。
また考える。この前の続き。
この前の記事ではうちの中で起きた出来事を戦記物っぽく書いてみた。相当ざっくりだったけれど。
それからしばらくしてふと思った。あれ、戦っている(と思っている)のは私だけか?
ほかの人間はその自覚すらない?
・・・なんだよ。がっかりだ。急に疲れが来る。
だけれどもひどい目にあった記憶というのは確かにある。そういえば暴力というのは被害にあった側からしか定義できないとある本に書いてあった。
教育やしつけの一環です、とか。このくらい普通だぞ、とか。みんなやってるじゃん、とか。そんなこと考えてもみませんでした、とか。
多分本当に何もわからないのだ。それにやっと気づいた。だからなんとか説明しなければいけない。そういうことか。孤独な戦い。
最近いろいろと本を読んでいて気になったことがある。それは法を守るということだ。(以下個人的な妄想です)
自由とか権利とか正義とか声高に叫ぶ覇権国家のあの国はとても独特だ。理念で成り立っていて素晴らしいという人もいるが、個々人の妄想やファンタジーで生きていると書く本もある。
だから理性的な説明はほとんどきかないし、おかしいと思ったら決まりを無視して平気で他国に攻め入る。そしてそのことをケロッと忘れてしまう。
あの国の中にはとんでもないカルトがたくさんあるのもそういうことなのかと思う。俺ルール重視の国。
個人の自由は大事だと思うが公共の利益を超えてまでというのはどうなのだろうか。
カルトなど法律を無視して「俺ルール」で動きだしてしまった人間は法では裁けないのでは? 初めから法より俺のほうが上だと思っているし。
というか法を適用することがおかしいのか? 自分はこういうことにはまったく門外漢なので何とも言えないけれど。
あの国で警察が犯人を射殺することも多いのはそういうこともあるのかと思う。(それって警察の仕事を超えているのでは)
法よりも俺ルールを優先する人たちを相手にするということ。俺ルールの人はある意味神の立ち位置にいる。もちろん民間人も銃を所持しているというのもあるけれども。
ほーら、こういうのを厨二病ポエムというんだよ。(あの国は厨二病だった?)
本当に疲れているのかもしれない。ものすごい鬱だ。身体が重くて動かん。
でもやりたい放題の宗教に対峙させられているとそんなことも考えたくもなる。彼らには言葉や説明が通じない、というか彼ら言ったそば聞いたそばから忘れていくし。
あの人たちは俺ルールというよりもその場の快不快で生きているのかもしれない。
そうなると俺ルールがすごいことなのかただのお子ちゃまのわがままなのかわからなくなる。言い訳がものすごく上手いだけなのか。
自由のために自由が成り立つ前提を壊している? 訳が分からん。
もう本当に疲れた。